――陽炎――

 ■蒼華学園――屋上・放課後■

 「朝霧」沙姫は屋上に居た。
 長く美しい髪を風に躍らせながら遠景を眺めている―――。
 別に屋上からの景色を眺めに来たわけではない。
 沙姫の胸に往来する得体の知れない―――迷い。
 確かに在るのに全てが虚構にみえる―――不安。
 そんな混沌とした沙姫の心とは裏腹に―――澄み切った青空が
 広がっている―――。

 【沙姫】ふぅ。

 小さく息を吐き、コンクリートの壁に背を預ける。
 ――と、誰かが屋上にやってくる気配を感じた。
 ちょうど死角になって見えないが、歩幅や歩き方からすると
 男子生徒のようだ。まぁ、わざわざ姿を表す必要もないし―――
 自分も思考を邪魔されたくない。
 目を瞑って―――思考の螺旋に身を委ね―――ようとした時、
 もう一つ気配が屋上に近づいてきた。
 …双子の「妹」―――朝霧水姫のようだ。

 【水姫の声】お待たせ…しちゃったかな。
 【男子生徒の声】あ、ああ、いやっ、俺も今来た所だから…。
     ―――そ、その、…手紙、読んでくれたんだな。

 【沙姫】(―――ああ、そういうことか。人気者だな、水姫は。)

 ふっ、と小さく笑った。
 少し―――盗み聞きのようで申し訳ないが、今から出て行くのも
 まずい。とりあえずこのまま隠れていよう。
 そう考えると、沙姫は再び目を閉じた。

 【水姫の声】――うん、…ごめんね、気持ちはとっても嬉しいんだけど
        ボク、好きな人が居るんだ―――

 風に乗って水姫の声が聞こえる。
 3年に進級してから3ヶ月、これで5人目だ。

 【男子生徒の声】そ、そうか、そうだよな、はは、
            じ、時間とらせちまったな。

 自嘲気味に、乾いた笑いをあげる男子生徒。

 【水姫】ううん、ボクこそごめんね。
      でも、キミのことが嫌いなわけじゃないんだ。
      これからも友達でいてねっ。
 【男子生徒】お、おう。―――そ、それじゃな。

 水姫に思いを伝え見事玉砕した男子生徒がしょんぼりしながら
 屋上から降りていった。


 それを見計らって―――ゆっくり水姫に近寄る。
 水姫にしては珍しく、感情が揺れているように思えた。

 もどかしさ。

 そんな感じだ。水姫が、手すりを―――タン、と叩いた。
 屋上を吹き抜ける風が水姫の栗色の髪を優しく揺らしている―――。

 【沙姫】水姫―――。
 【水姫】あ、お姉ちゃん。

 少し驚いた様子で、沙姫を振り返る水姫。

 【沙姫】これで…交際依頼を断ったのはを5人目だな。
 【水姫】何言ってるんだよっ。ボク知ってるよ、お姉ちゃんも
      5人フってるじゃないか。
 【沙姫】ははっ―――。私は男に興味はないからな。

 だからといって女が好きというわけではない。
 先日も下級生の女の子から告白された時は辟易した。
 などと考えながら、ううー、と唸る水姫の頭を撫ぜる。
 しかし―――、
 水姫の「好きな人」というのが気になる。今までそんな素振りも
 見せたことなかったし―――そういう話もしたことがない。

 【沙姫】…水姫、お前の言っていた好きな人、って誰のことなんだ?
 【水姫】…。…分かんない。
 【沙姫】分からない、って―――…。

 困ったように目を伏せる水姫。

 【水姫】分かんないんだよ。でも――、でも、確かに
     ボクの胸<ここ>にいるんだ…っ。なんか、こう…
     ぎゅ、って締め付けられるような、そんな感じで―――

 その気持ちは―――分かる。私自身にも、それがある。
 私の場合は―――「事故の後遺症」で過去の記憶がまったくないことに
 起因するものであるようだが―――…
 いや、そもそも「何の」「どんな」「事故」だったのか思い出せない。
 どんな事故だったのか。―――水姫もその「事故」を知らない。

 【水姫】沙姫お姉ちゃん?

 気付くと、水姫が怪訝な表情で私を覗き込んでいた。
 いつの間にか険しい表情になっていたのかもしれない。

 【沙姫】ま、とりあえず―――今日は帰ろう。
     澪もここに来たみたいだし。

 くい、と親指で屋上のドアを指差すと、ちょうど澪が屋上へ
 やってきたところだった。

 【水姫】よく分かるねえ、お姉ちゃん。

 自分でも良く分からないが―――人のもつ独特の気配を
 感じることが出来る。これも事故の後遺症なのか―――。
 屋上へあがってきた澪は私たちを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。



 【澪】水姫さん、沙姫さん。探しましたよ。
    そろそろ――帰りませんか?
 【沙姫】ああ―――もうそんな時間か。
 【水姫】うんっ、それじゃ帰ろっか。


 ■朝霧家―――翌日■

 今日は休日だ。学校も休みだからのんびり出来る。
 私服に着替えて朝食をとっていると―――
 水姫がパジャマのままスリッパをペタペタ鳴らせて、
 ついでに眠そうに両眼をこすりながらキッチンにやってきた。
 枕を抱えているのは…この際見なかった事にしておこう。

 【水姫】おはよ〜、お姉ちゃん…。休みなのに今日も早いねえ。
 【沙姫】早いって言っても――、もう八時だぞ。
     ―――水姫も朝ごはん食べるか?

 沙姫の問いかけに、水姫はうつらうつら船を漕ぎながら
 「うん」と頷いた。
 手早く目玉焼きやらトーストを用意し、テーブルに並べる。
 その頃には水姫もすっかり―――寝入っていた。

 【沙姫】―――ふッ、世話の焼ける妹だ。
     ほら、おきろ水姫。そのまま寝てしまうと風邪引くぞ。
 【水姫】あうー。

 といいながら開いた口にトーストを突っ込む水姫。
 相変わらず―――なんというか、可愛い。と思いながら、
 言わなければいけないことを思い出した。

 【沙姫】水姫、私はちょっとでかけるから―――
     何処へも行かないなら留守番を頼むぞ。
 【水姫】うん、わかったよ。でも―――何処へ行くの?
 【沙姫】それは…まぁ、秘密だ。
 【水姫】うー。

 正直返答に困る。当てもなく、といえば当てもなくなのだが…
 失われた記憶を求めて―――とにかく休みの日には街を
 歩くことにしている。
 水姫の朝食を待って、自分の食器と水姫の食器を片付けてから
 外出準備。
 机の上においてある赤いリボンで髪を結んでから―――玄関を出た。

 この赤いリボンはお気に入りだ。気に入っている…というか
 「大切なもの」だ。何故大切なものなのかは…思い、出せない。

―――お前にはこれをやろう―――

 【沙姫】―――うっ…。立ち眩み…か…

 一瞬気が遠くなったような感じがしたが―――
 文字通り気を取り直して市内を歩く。


 古風な趣味かもしれないが、沙姫は神社仏閣を見て廻るのが好きだ。
 色々見て廻るうちに―――自宅がある蒼華市から隣の桜舞市まで
 来てしまったようだ。この辺りはまだ見て廻ったことがないな―――
 そう思いながら歩いていく。

 ―――と、住宅地から少し外れた小高い丘に鳥居があった。
 そこだけ喧騒から切り離されたかの如く、静寂に包まれている。
 朱に塗られたその鳥居は神々しい門でもあり、また他者を拒む
 鉄壁の壁にも感じられる。

 【沙姫】―――何か…不思議な感じのする神社だな。
     …み、つるぎ―――神社…?御神体は刀剣…か。

 そばにあった神社の石碑―――説明文を読む。
 刀剣が御神体とは珍しい。なるほど、それで御剣神社、と言うわけか。

 【沙姫】行ってみるか。

 御神体の刀剣を見るコトが出来るとは思わないが、
 その神社に興味を持った。
 長く続く石階段を上っていくと、その頂上にはもう一つ鳥居があった。
 それをそれを潜り抜けると、小さな開闢地に出た。
 その境内の奥のほうには神社の本殿と社務所らしき建物が見え―――
 一人の巫女が掃除をしていた。竹箒で境内を掃いている。

 【沙姫】(何か―――ここだけ空気が澄んでいるような感じがするな)

 ぐるりと周りを見渡しながら本殿のほうへ歩みを進めていくと、
 掃除をしていた巫女がこちらに気付いたようで
 にっこり微笑みながら近づいてくる。

 【巫女】あらあら、お客さんでしょうか?
 【沙姫】あ、いや―――。
      ちょっと…変わった神社だなと思って。
 【巫女】ふふっ、そうですか?
      この神社はあまり人がお越しにならないような神社ですので
      そういう意味では変わっていますけどね―――。
 【沙姫】そうですか―――。

 それって寂れているということか?という不謹慎な考えが
 過ぎったが、さすがに口には出さない沙姫。

 【巫女】あァ、もしお時間あればお茶を飲んでいかれませんか?
      ちょうどいいお茶請けがありますので。
 【沙姫】い、いや、私は―――

 始めて来てそこまでしてもらうのは申し訳ない。
 そう思って――断ろうとしたのだが。

 【巫女】まぁまぁ、そう仰らずに。心に迷いがあるときは、
     その足を止めてゆっくり周りを見ることも大切ですよ。
     失いかけた自分自身を再確認することも、ね。
 【沙姫】―――っ。

 迷い。
 確かに―――。
 迷いというか、心の中に霞がかかっているような
 酷く自分に対して戸惑いを感じる事がある。
 自分が自分で無いような―――酷く自己の存在が希薄になるような…
 説明しがたい感覚。
 ―――迷い。
 …戸惑い。
 …一言では言い表せない――焦燥感。
 この巫女はそんな私の心を読み取ったというのか。
 ・
 ・
 ・
 にこやかな笑みを湛えた巫女に促されるまま、境内に腰掛る。
 程なくしてその巫女がお茶と羊羹を持ってやってきた。

 【巫女】貴方は―――学生さんかしら?
 【沙姫】え、ええ…。隣街の―――蒼華学園の生徒で、三年です。
 【巫女】あら―――高校生なのね。
     この神社の巫女にもあなたと同学年の方がいらっしゃるのよ。
 【沙姫】そうなんですか。
 【巫女】―――お名前、伺ってもいいかしら?
 【沙姫】朝霧、沙姫<あさぎりさき>。
     ―――「あさ」…は朝食の朝に、「ぎり」は濃霧の霧
     「さ」は…さんずい片に少ない、「き」は姫。

 自分でも漢字を説明するのは変だな、と思いながらも―――説明する。

 【巫女】あら―――沙姫さんと仰るの?
     奇遇ね、私も「さき」というのよ。字は花が咲く、の「咲」だけど。
 【沙姫】そう、なんですか。

 ええ、と頷く巫女の咲さん。―――そうだ、確かに花が咲くという
 感じではある。華というより花。可憐な―――少し大人の雰囲気を感じる。
 …と、額に何か赤い印がついているのに気付いた。

 【咲】…これ?これが、見え―――…ふふっ、気になる?
 【沙姫】あ、いや―――
 【咲】これは――そうね、おまじないみたいなものよ。

 にっこり微笑む巫女・咲。まぁ、追求するつもりも無かったが、
 この柔らかい微笑には毒気を抜かれるような感じだ。

 【咲】これはね―――大切な人との「繋がり」なの。
    貴女にもあるでしょう?
    大切な人の――想いが詰ったもの―――。大切な人との繋がりが。
 【沙姫】私は―――これ、かな。

 す、と自分の髪を結っている赤いリボンを、手に取った。

 【咲】そうなの…。大切にね。
 【沙姫】―――ああ、勿論。

 ―――何故?

 迷いもなく「これが大切なもの」と言う事が出来たのだろう?
 「これ」が「大切な人との繋がり」と断言できたのだろう?
 ―――何故?

 「大切な人」?

 ―――誰をさしているのだろう?
 水姫や澪、確かに大切な人だが―――彼女達ではない、誰、か。

 咲の淹れてくれたお茶を頂きながら
 いろいろと自分の記憶が無い事など話していると―――
 ふと、咲の瞳が真摯なものに変わった。

 【咲】貴方は―――、自分に対して凄く迷いを持ってるわね。
    酷く曖昧な存在である、と感じている。
 【沙姫】―――っ。
 【咲】でもね、心配しないで、沙姫さん。
    貴方は貴方で、貴方以外の何者でもないわ。
    貴方が今成すべきもの、事をしっかりと持っていれば、大丈夫。
 【沙姫】私が―――成すべきこと…

―――水姫達を守ってくれ―――

 【沙姫】…あ…
 【咲】貴方には強い意志が感じられるわ。それを見失わなければ――
    貴方は大丈夫よ。

 ぽん、と軽く肩を叩かれた。
 ―――何故だろうか…少し気分が晴れたような気がする…。
 具体的なアドバイスじゃないけど、自分の在りようを
 示されたような感じ―――託された、使命―――

 【沙姫】(…誰に…託された…?)
 【咲】どうかしたの?
 【沙姫】あ、いえ―――。ありがとうございます、少し―――
     もやもやしていた気分が晴れたような気がします。
 【咲】そう―――、それは良かったわ。

 その微笑につられて、こちらも微笑みながら、立ち上がった。

 【咲】行くの?
 【沙姫】はい、ご馳走様でした。
     それからいろいろありがとうございます。
 【咲】いいえ――、それは貴方自身の思いの強さ。
    私は何もしてないわ。
    ―――それから、いつでもまた遊びにきてくださいね。
 【沙姫】ええ、是非。
 【咲】―――そうだ。これを貴方に上げるわ。
    役に立つか役に立たないかは分らないけど―――

 私の手を取り、その掌の上に小さなお守りを乗せた。

 【沙姫】ありがとうございます―――

 そのお守りをそっとポケットにいれ、軽く一礼してから
 鳥居を潜り来た道を戻った。

 【沙姫】あ―――そういえば…参拝してなかったが…
      まぁ、いいか。

 ―――また行けばいい。
 お茶もご馳走になったしその礼もしなければ…と思いながら
 街の雑踏を歩く。


 時計を見ると――時刻は正午を廻った所だ。
 水姫には昼食は好きな物を食べるように言ってあるし―――
 私も適当に食事を取ろう。

 ■公園―――昼下がり■
 ファーストフードで軽く食事を取った後、
 町の中心部から少し外れた公園のベンチに座って―――
 いろいろ考えていた。
 いろいろ、と言うと漠然としてはいるが、基本的にはこの胸の
 もやもやとしている<コト>について、だ。
 先ほどの御剣神社での言葉―――「自らの成すべきこと」――
 それは水姫たちを守る事。一つのピースは埋まった。
 だが――
 何かが。
 何かが足りない―――
 喪失感。
 一体何が―――
 一体「何を忘れてしまっているのだろうか」。
 とても「大切なもの」だったような気がする。

 【卑下た声】おー、いい女じゃねえかぁ。

 突然、思考に割り込んできた気に障る声。
 それは明らかに自分にかけられているようだ。
 伏せていた目を――自分の周りに向けると―――
 数人の柄の悪そうな―――いや、頭の悪そうな学生と思しき
 男たちがベンチに座る自分を取り囲んでいた。

 【柄の悪い男1】おねーちゃん、暇?俺たちと一緒にあそばねえ?

 馬鹿共が。
 あそばねえ、の語尾が上がる所までが余計に腹が立ってくる。

 【柄の悪い男2】俺たちと楽しい事しようぜ〜。
 【柄の悪い男3】俺たちが天国に連れて行ってやるからよォ。
           けっけっけ。

 卑下た笑いを上げる男共。いまどき「けっけっけ」と笑うやつがいるとは。
 ゆっくりとベンチから立ち上がり―――男共を軽く一瞥して
 その場を離れようと―――したが。
 一人の男が沙姫の左腕を掴んだ。

 【柄の悪い男4】おおっと〜、どこ行くんだよ。
           無視するんじゃねえよ。
 【沙姫】私に触れるな。
 【柄の悪い男4】何言って―――ぺも゛っ!!!

 顔面に拳をつきたてる。
 柄の悪い男は鼻血を吹き上げながら後方へよろめいた。

 【柄の悪い男1】ケンちゃん!!
 【柄の悪い男2】て、てめえ!なめやがって!!!
 【沙姫】―――ふん。

 男たちを睥睨し、上体を少しずらす。
 ――少し右足を前に出し、心持ち腰を落とす。
 しなやかに―――沙姫の体が戦闘体勢に入った。
 沙姫の怜悧な双眸が柄の悪い男たちを貫く。

 【柄の悪い男】ぐ…!

 完全に、飲まれていた。圧倒的な沙姫のプレッシャーに
 気圧されて金縛りのようになっている男たち。
 その金縛りをとくように、柄の悪い男の一人が金切り声を上げた。

 【柄の悪い男3】やっちまえ!!!!

 昔のヤンキーのような台詞回しで―――それがきっかけになったのか、
 金縛りから解けたように一斉に沙姫に襲い掛かってくる柄の悪い男たち。
 凶拳を軽やかにバックステップでかわす沙姫。
 なんの格闘技もやっていない「はず」なのだが「体が動きを覚えている」。

 【沙姫】今の私は機嫌が悪いぞ。手加減しないか―――
      ―――ッ。
 【柄の悪い男4】何カッコつけてやがっばふう!!

 軽い音と共に赤色やら薄い白色やらが飛び散り、
 さっき沙姫に殴られた男が再びよろける。別に歯や血が飛び散った訳ではない。
 ――沙姫は見ていた。
 突如飛来した「りんご」。
 それが恐るべき勢いで男の顔面に当たったのだ。
 それと一緒に、快活な声が近づいてきた。

 【活発な少女の声】おーおー、男の癖しやがって女1人に4人がかりかよッ。
            みっともねェなあッ。
 【柄の悪い男2】な、なんだと!?てめえ!!
 【活発な少女】けッ、ホントのコト言われてキれてンじゃねェよ。
        ―――よッ、と。

 ひょい、と軽やかに宙を飛び―――とん、と沙姫の隣に立つ。
 そして拳を構えた。
 燃える炎のような髪に、つりあがった目。見るからに喧嘩っ早そうな
 感じの―――少年のような少女。

 【活発な少女】よォ、加勢すンぜッ、ねーちゃん。オレの名前は赤城ほむらッ。
          桜舞学院3年ッ。よろしくなッ!!
 【柄の悪い男4】へぼ!!

 自己紹介しながら柄の悪い男を殴り飛ばす。
 この男ばかり殴られているような気がするが―――まぁ、仕方ない。

 【沙姫】あ、ああ―――私の名は朝霧沙姫。蒼華学園3年だ。
 【柄の悪い男4】がぺべっ!

 激昂して襲い掛かってくる柄の悪い男をクロスカウンター気味に
 殴りながら――沙姫も自己紹介する。

 【ほむら】へェ…。そっか、アンタか。
 【沙姫】―――?私のことを知っているのか?
 【ほむら】あ、あー、いや、隣のガッコにすげえイカス女がいるって
       言うのを聞いた事があってよッ。

 イカス…って、また一昔前の言い回しだな…と思いながら、
 次々に柄の悪い男をぶっ飛ばすイカス沙姫。

 【沙姫】だが―――何故こんな喧嘩にわざわざ参加したんだ?
     それにさっきまで公園にいたのか?気付かなかったが…。
 【ほむら】あァ、ちょっと木の上で昼寝でもしようと思ってたらよ、
       なんか足元が騒がしいから降りてきたんだよッ。
      ―――そしたらアンタがからまれてたんでな。
      久しぶりにフツーの喧嘩がしたかった、ッてのもあるけど、
      ――よッ!!!
 【沙姫】―――はァッ!!

 沙姫とほむら、同時に蹴りを放つ。
 最後まで残った柄の悪い男4はその二人の蹴りの威力で3mほど
 上空に吹き飛び、キリモミ状態のまま地面に叩きつけられ
 受身を取れず激突し、昏倒した。

 【ほむら】一丁あがりッと。
       へへッ、即席コンビにしては上手くいったじゃねえか、
       なァ、沙姫ッ。

 まるで、十年来の友人に向けるような笑みを浮かべて、
 ぐ、と拳を突き出してくるほむら。
 沙姫も少し微笑みながらその拳に自分の拳をコツン、と当てた。

 【沙姫】赤城。
 【ほむら】ほむら、でいいってッ。―――なンだよ?
 【沙姫】いや、さっき―――普通の喧嘩が…と言っていたが、
     それはどういう意味だ?

 ほむらはあからさまに「げ」と言う表情を見せた。
 分りやすい奴だ。

 【ほむら】うー、なんつったらいいのかなー。
      ちょっと説明するのは難しいぜ…。
 【沙姫】あぁ、すまない、単なる興味心だ。そんなに思い悩まないでくれ。
 【ほむら】そッか、そー言ってもらえると助かるぜッ。

 ―――と、突然ほむらの表情が一気に険しくなった。
 その理由―――沙姫も気付いた。
 異様な雰囲気。
 空気が生ぬるい。

 【ほむら】…こいつは…。

 気を失って倒れている男たちが―――幽鬼の如くゆらりと
 立ち上がったのだ。その瞳には生気が無く虚ろだ。
 それに伴い、周囲の景色が徐々に赤く染まっていく。

 【沙姫】―――なっ…これは、…一体…!!

 先ほどの男たちと雰囲気が全然違う。気配がまるで違うのだ。
 例えるなら―――ミジンコがいきなり肉食獣に変わるような…
 そんな感じ。兎に角異様な雰囲気だ。
 さらにその体躯がゴキゴキと音を立ててみたことも無い化け物に変化していく。

 【ほむら】―――ちィッ、陰気の結界かよ…!! こんな時に―――
 【沙姫】…いんきのけっかい…!?
 【ほむら】…しゃーねェな。最後の一回か―――
       ダチを助けるにはこれしかねェし。
 【沙姫】―――ほむら…!これは一体なんなんだっ!?

 ほむらは沙姫の問いに答えず、一歩前に踏み出した。
 そのまま顔だけ後ろに向ける。

 【ほむら】おい、沙姫ッ。オレの後ろに隠れてろ。
       こいつ等―――陰気に憑かれてやがるッ。
 【沙姫】―――ッ!?疲れている…?
      一体どういう…


 ゴッ!!!


 ―――と、ほむらから風圧がおこり―――沙姫は少しよろけた。
 改めてほむらを見たときには―――その体の周囲に、蜃気楼のようなものが
 見え、少し揺らめいていた。
 その揺らめきが天に向かって立ち上る。先ほどまでのほむらと違う。



 【ほむら】―――行くぜッ!!
 【沙姫】―――ッ!!!

 圧倒的だった。
 目で追うのがやっとだ。あちらにいると思えばこちらに、
 それこそ目にも止まらないスピードで相手を叩きのめしている。
 時には掌から火を出したり、光る玉を出したり―――
 これが現実なのかと疑ってしまうほど、異様な光景だ。
 相手も異様だ。
 先ほどまで絡んできていた柄の悪い男たちの
 体躯も妙に…膨張し、赤黒く変色している。
 最早それが人間であるというには難しいくらい―――「形」が変わっている。

 【沙姫】一体…これは…なんなんだ…!?

―――あまり無理するなよ、沙姫―――

 【沙姫】―――ぐッ…

 脳裏に誰かの声が響く。
 聞いたことのない声。いや、聞き覚えのある、声。

――沙姫。―――

 【沙姫】な、ん…だ―――…、これ、は…。

 がくっ、と膝が崩れ、その場に臥す。
 目の前の異様な光景もそうなのだが―――
 脳裏に響く「声」が、とても―――とても、もどかしい。
 聞いたことのある、声。

 だが知らない、声。
 「     」の、声。

 だが知っている、声。
 「     」の、声。


 【ほむら】―――くっそッ、これで最後かッ…!
      ギリギリじゃ、ねェ、かよ…!!

 ほむらの声に沙姫が顔を上げると、化け物に変じた男たちを―――
 ほむらが全て倒していた。
 …が、そのほむら自身も、糸の切れた人形のように
 その場に倒れた。
 慌てて駆け寄る。

 【沙姫】―――ほむらッ!!
 【ほむら】へへッ…ざまァ…ねェな…。
      これが魂魄乖離の影響―――ってやつ、かよ…

 徐々に―――それでもはっきりと分かるスピードで
 ほむらの体温が下がっていく。
 異常なまでの早さだ。
 だが、それが「死」に繋がっていく体温の喪失であることは
 沙姫にははっきりと感じ取れた。
 気配が―――ほむらの気配が徐々に薄くなっていくのだ。
 そばに居るのに。
 こんなにそばにいるのに。
 「いなくなってしまう」。
 「また、いなくなるというのか」。

 【沙姫】駄目だ、目を瞑るなッ!ほむら!!
 【ほむら】なァ、沙姫…。今日出会ったやつに言うのも悪ィとは
      思うんだけどよ―――、最期に一つ頼まれてくれねェか?
 【沙姫】いやだ!最期とか言うな!
     私は…私はッ、もうこうやって誰かを失うのは―――
 【ほむら】泣いてんのか…オレの為に…?へへッ、なんか嬉しいぜ…。
       あー、でも、参ったな…焔護師匠に…なんて、言い訳した、ら…
 【沙姫】おっ、おいっ!!ほむら!ほむら!!

 ゆっくりと目を閉じたほむらの両肩を掴んで強引にゆする。
 目覚めない。
 体温…いや、その「存在」が希薄になっていく。

 【沙姫】いやだ、いや、だ―――!!

―――お前の<氣>は<木氣>だからな。<火氣>の俺にとっては
   相生<そうじょう>…相性がいいんだ。―――

 【沙姫】―――くっ、また…

――だからね、こーやって、気持ちを相手に届けーって感じで
  掌から、相手に気持ちを送るんだっ。ほら、沙姫おねえちゃんも―――
――沙姫さん、どうですか?私の<氣>持ち―――流れてますか?―――

 【沙姫】水姫…澪…?

 やろうと思ってやったわけではない。
 自然に。
 沙姫の手がほむらに向けられた。
 「聞いたことない」はずの水姫と澪の言葉を脳裏にトレースする。
 大丈夫、間違いない。
 ほむらは火…。自分は木…。<氣>は、流れる。

 【沙姫】―――。

 ほむらに手をかざす沙姫の体から青白い燐光が立ち上がる。
 それが徐々に―――、ほむらに流れていく。

 【沙姫】ぐ、く―――…

 氷に手を触れているような感じ。
 体温が吸い取られていくような感じ。
 力が、流れていくような感じ――――…

 【ほむら】…ぅ―――

 ちいさくほむらが呻いた。そして、ゆっくりと瞳を開け、

 【ほむら】あ、あれ?オレ、生きて…ンのか?なんで?


 間の抜けた声を上げた。


 【沙姫】よか…った…。

 安堵の声を上げた沙姫が、今度は倒れた。



 ■公園―――夕方■

 【沙姫】―――っ…ここ、は―――
 【ほむらの声】よォ。目、醒めたかよ。

 沙姫が顔を上げると―――夕日に照らされたほむらが
 やっぱり登場したときと同じ、少年のような笑みで立っていた。

 【ほむら】助けられちまったなッ。
 【沙姫】何を…。助けられたのは私のほうだ。
     ありがとう―――ほむら。
 【ほむら】な、なんだよ、照れるじゃねェか。
       ―――ダチを助けンのは当たり前じゃねェかよッ。

 昭和テイストの友情くささを全面に感じさせるほむら。
 だが、沙姫も悪い気はしない。――いや、嬉しかった。

 【沙姫】―――っ。
 【ほむら】―――ッ。この<氣>は…ッ。

 ―――と、大きな気配が近づいてくるの二人が感じたのと同時に、
 少女の悲痛な呼び声が公園内に響いた。

 【少女の声】―――あかおねえさまッ!!!
 【ほむら】…白峰じゃねェか―――…。
 【沙姫】しらみね…?

 公園の外から凄いスピードで銀髪の少女がこちらに駆け寄ってきた。
 駆け寄る、と言うよりは障害物を飛び跳ねて一直線に
 こちらに向かってきた。普通の人間の動きではないのだが、
 尋常じゃない物を見たばっかりなので沙姫は特に驚かなかった。
 白峰と呼ばれた少女はそのまま沙姫には目もくれずほむらの側によって
 心配そうにその顔を見上げる。

 【白峰】あかおねえさま…!急に気配が小さくなっていったので
     まさかと思いましたが…ご無事で何よりです…。
 【ほむら】あー、いや、なンつーかよ。…三回目使っちまってな。

 白峰の表情がこわばっていくのが見えた。
 沙姫には何が三回目なのかは皆目見当がつかなかったが、
 それが禁忌であるように感じた。

 【白峰】あなたは…!あなたは…どうしてそんな無茶を…。
     いえ、あかおねえさまが無茶なのは存じておりますが―――
     よく、よくご無事で―――。

 ぎゅう、とほむらの服をつかんでいる白峰の手が震えていた。
 この白峰という少女にとって――ほむらは大切な者なのだろう。

 【ほむら】ああ、それがな、オレもよくわかんねェけど、沙姫に
      助けてもらったんだ。

 す、と目線を沙姫に向ける。
 そこで漸く白峰も沙姫の存在に気付いたように、慌てて振り向いた。

 【白峰】し、失礼しました、あかおねえさまを助けていただき―――、
     …っ…あ、貴女は…。
 【沙姫】―――え?
 【白峰】あ、いいえ、あかおねえさまを助けていただきまして
     ありがとうございます。

 深々とお辞儀をする白峰に、沙姫は困惑した。
 先ほど白峰と呼ばれた少女が言いよどんだ事もそうだが、ほむらを助けた…ことも
 どうやって助けたのか良く分かってなかったからだ。

 【沙姫】いや―――助けられたのは私の方だ。
 【白峰】そうなのですか?
 【ほむら】うーン、まァいいじゃねェか。その辺は。
       ―――で、どうしたんだよ、白峰。なんか用事か?

 先ほどまでちょっと慌てているように見えた白峰の表情が
 すぅ、と真摯なものに変わる。

 【白峰】はい、おねえさま。ここでは少々憚<はばか>りますので、
     道すがら、と言うことで。
     しかし―――本当に間に合ってよかった…。
     まさかもう3回目を使われてしまっていたとは…。

 そのまま白峰は公園の外に向かって歩き出していた。

 【ほむら】なンだよ、どっかいに行くのか?
 【白峰】はい、急いで下さい。
 【ほむら】お、おうッ。
       ―――それじゃな、沙姫。またどっかで会おうぜッ。
 【白峰】失礼します。
 【沙姫】―――あ、ああ…。



 1人公園に取り残された沙姫。


 時刻は午後5時。

 あの二人の会話の内容も良く分らなかったし、先ほどまで
 起こっていた異様な光景も良く分らないし―――
 何より、脳裏に響く「声」が良く分からない。
 一体なんだと言うのか。

 【沙姫】―――仕方がない…。とりあえず家に戻ろう。
     水姫も心配して――――

―――水姫―――
―――沙姫―――

 突如――脳裏に響く「聞き覚えのある声」。

 【沙姫】―――く、また…。一体―――…何だというんだ…。

 少しふらつきながら―――公園を出て街中を歩く。
 雑踏がノイズに聞こえる。
 その中でクリアに聞こえる―――「声」。
 いや、声というより…記憶。なくしたはずの記憶が―――
 疼く。

 【沙姫】今まで―――こんな事無かったのに―――

 空を見上げると―――夕日が異常に赤い。
 ―――大気が揺らめいている。
 ―――赤い。
 ―――赤い。
 ―――沙姫は走り出した。
 ―――なにか、
 ―――胸の奥底に沈殿したものが湧き上がるかのごとく
 ―――蘇りつつある、「記憶」。

 どくん。

 自分の脈動が聞こえる。

 ―――私は、生きていいのか―――
 ――――――御琴姉さんの分まで生きなければな。


 …焔護師匠になんていったら…

 どくん。    どくん。
     どくん。    どくん。

 どくん。

 【沙姫】―――えん、ご…?

 ―――どくん。

 ひときわ大きく心臓が跳ね上がった。

 ―――この、感じ。
 ―――この、気配。
 ―――間違えるはずない。
 ―――いや、
 ―――なぜ、思い出せなかったのか。

 【沙姫】―――焔護!!!!