第二十幕 過去トノ邂逅

■アクエリアスゲート―――現代■

「あら…?」

澪が応接間にコーヒーを持って入ると、そこにはもう焔護しか居なかった。

「黒咲さんは…?」
「用事が入ったとかで、さっき帰った」
「そうですか…。コーヒー、お飲みになられますか?」

無言で頷いた焔護にコーヒーを手渡す。黙ったまま焔護はコーヒーを飲み干した。
コト、と机にカップを置いて澪を見上げる。

「成り行きとはいえ…昔の事を喋ると色々思い出すな…」
「ふふっ、なんだか懐かしそうな表情です」
「水姫は?」
「お休みになられたようで…。起こしてきましょうか?」
「――いや、構わん」

目を閉じて長い溜息を吐く。

「澪、お前は…昔の事を思い出すことはあるか?」

一瞬きょとんとした表情になる澪。少し悲しそうに、それでも微笑む。

「え、と…私は、私の<記憶>はここでの生活がすべてです。昔の記憶はありませんし」
「そう…だったな」
「どうかされましたか?」

焔護は抑えていたこめかみから手を離して澪を見る。

「ワシはお前の過去を知っている。――お前はお前の過去を知りたいか?」
「―――っ」

思わず持っていた盆を落とした。くわんくわんからからー…ぱたん…
と、あたりに乾いた音が響く。
幾許かの逡巡の後、―――澪が俯きながら口を開いた。

「わ、私は。私の総ては今、<ここ>にあります。
  過去を知りたくない、という事はありませんが、私は今、ここに居ます」

そして、勢いよく顔を上げてにっこり微笑んだ。

「だから今はいいです」
「ふん。よく言ったな―――。来たばかりのびくびくしていた頃とは大違いだ」
「ふふっ」

焔護が立ち上がった。




■アクエリアスゲート――深夜■

何だかんだいいながら澪は焔護の言葉が気になり寝付けずにいた。
気を紛らわす為、夜間の散歩をしようと自室を出た―――。
昼間は賑やかな―――といっても賑やかな中心は水姫だが―――アクエリアスゲートも
深夜となっては静かなものだ。
闇の中に自分の歩く足音だけが響く…。

「…?」

と、澪の耳にかすかな音が聞こえた。

「水…?水の音かな…」

焔護地聖が作った露天風呂のほうから水が滴り落ちるような…
そんなかすかな音が聞こえる。

(蛇口、ちゃんと締めてなかったかな―――?)

掃除など家事全般をやっている澪は、それを確かめるべくそちらの方へ向かった。
近づくにつれ、水が滴り落ちるようなかすかな音ではなく
時折、ぱしゃっという音が聞こえてくる。

「こんな時間に露天風呂を焔護さんが使ってる…ってこともないし…
  水姫さんは寝てるし…」

澪の自室の隣に水姫の部屋はある。そのドアは確かに閉まっていた。
多少緊張しながら露天風呂へ続く引き戸をそっと開けた。

「――――?」


そこには、月の光に煌々と照らされた黒髪の女性が湯浴みをしていた。
思わず息をのむ。

「――――だ、だれ…?」

澪の問いに答えるものは居ない。――否。突然澪に声がかかった。

「見たな」
「―――えっ、焔護さんっ…!?」

背後に焔護が立っていた。

「ま、いずれ知る事になると思っていたがな―――」
「あ、あの…す、すみません…」

下を向いて謝る澪に、焔護は珍しく微笑んで澪の頭を撫ぜた。
驚いたように顔を上げる。

「謝る事はない。…気になるだろう?」
「えっ…」
「あいつが誰なのか」

ゆっくりと黒髪の女性が焔護たちの方を振り向く。
その女性に焔護が声をかけた。

「――沙姫」