■路地裏―――夜■

「―――ッ!」
「こ、れは…」

静寂を切り裂くように―――形成された結界が崩壊する。
そして霧夜が振り下ろした兇刃が沙姫に届くのを阻むかのように、
二本の刀がクロスして地面に突き刺さっていた。
強烈な波動が両方から溢れ出している。

「沙姫は私の大事な友人だ。殺させはせん」
「俺の沙姫で勝手に遊ぶな」

声と共に、民家の屋根に二つの影が現れた。
雲が切れ――紅い月明かりが二人を照らす。
2人は並んで立っているが、どうやったら投げた刀がクロスするように
刺さるかは…些末な問題なので無視しておこう。

「え、焔護!紫苑…っ!」

異口同音。内容も違うように思えるが、沙姫を護ろうとする意味は同じもの。
二本の刀の側に――――焔護地聖とその妹の御剣紫苑が音も無く舞い降りる。

「―――天照と月読…!貴方達…そう、貴方たちなのね。
  御剣久遠、御剣紫苑」
「(この状態の俺を…久遠と…御剣久遠と見抜いた…?)
  誰かは知らんがこれ以上やるなら俺が相手だ」

焔護の言葉に―――少し面を食らったような表情を見せる霧夜。
が、すぐに冷酷な瞳に戻る。

「―――そう、貴方たちは…まだ、―――なのね。
  そうね―――。だからこんな無駄な沙姫モノを手放さずに持ってるのね。
  まぁ…二つの神具が揃ってちゃ―――相手が悪いわ」

二本の刀に阻まれた刀を引く霧夜。それを一つ振ると、一瞬にして消えた。
そのままくるりと背を向けて、やれやれ、といった感じに手を上げて歩き出す。

「―――に、逃げる気か…ッ!」

沙姫の叫び声に―――嘲笑の表情を作る霧夜。

「あはは、あなたは必ず殺してあげるわ、沙姫。あなたは別。
  私の存在価値を奪った貴女は…殺しても殺したりない。  
  その体をバラバラにして内臓引っ張り出してずたずた切り裂いてから
  その首を刎ねて水姫にプレゼントしてあげる」

長い。
台詞が長い。そして多分水姫は喜ばない。気持ち悪い。

「ま、―――待て!!!」
「貴方達も―――早く<聞く>コトね。全ての意味が変わるわよ。
  手遅れにならないうちに―――ね」

とん、とアスファルトを蹴り、宙に消える霧夜。
よろよろと立ち上がり、闇に消えた霧夜を追おうとする沙姫の腕を
焔護が掴んだ。よろける沙姫をそのまま引き寄せて抱きかかえる。

「沙姫、ここは抑えろ。そんな怪我で…
  いや、今のお前では―――アレに勝てん」
「あれは…星神<せいしん>女学院の制服だな。兄上…あいつの正体を知っているのか?」

闇を睨みながら―――紫苑が尋ねる。既に霧夜の気配は遠のいていた。
追いかけても追いつかないだろう。

「いや…知らん。だが、同じ神具の波動を感じる。推測でしかないが
  おそらく…あれが天津甕星だ。よく無事だったな、沙姫。」
「―――沙姫?」
「うぐっ、うっ…」

嗚咽。止め処無く流れ落ちる涙。
焔護に抱かれたまま―――いや、しがみ付くように
沙姫は泣いていた。恐怖ではない。傷の痛みではない。
自分自身の力の無さに。
そして―――不安に。
水姫を護るに相応しい存在なのか。
人形。
刃以上に、霧夜の言葉が、沙姫の心を大きく抉った。

「水姫を護る―――私にはそれしかないのに…、私はッッ!!
  私はッ、強くなりたい…ッ!身も、心も…!水姫を護れる強さを…!!」
「沙姫…」

既に自他共に認める友である沙姫の嗚咽に、紫苑は心を痛めた。
かける言葉も見つからない。

「うあああッ、あああああああああああ―――ッ!!!!!」

焔護の胸に抱かれて―――沙姫は生まれて初めて慟哭した。

 

■御剣神社■
青瀬とほむらに事の成り行きを電話で伝え終わった焔護が
沙姫の側にやってきた。

「落ち着いたか、沙姫」

気落ちしている沙姫の肩を抱きながら―――珍しく優しい声をかける焔護。
その言葉に、沙姫は力なく頷いた。
既に掌の傷は咲の法術により、ほぼ完治しているが、
傷が走っているのは心のほうだ。
確かに乱れた気持ちは落ち着いたのだが、落ち込んだ気持ちまでは
戻っていない。
それに、机の上に置かれた刀を見て、なお一層気を落とした。
沙姫の目線の先に気付いて紫苑に問い掛ける。

「そっちはどうだ?」
「駄目だ―――死んでいるな。完全に<氣>が落ちてしまっている。
  研ぎなおした所で無意味だろう」

刃が削げ落ちたような状態である。研ぎなおすとなれば確実に
刃の幅が短くなり、刃自体も薄くなるだろう。というか、それは刀なのか?
という結果になりそうな感じだ。
それほどまでに、削られていた。折れてないのが不思議に思える。
霊刀ならではの力かもしれないが、紫苑の台詞どおり、
霊刀の源――霊力…即ち<氣>が抜け落ちてしまっているのだ。

「…そん、な―――…。すまない、紫苑…。私がもっと―――
  もっとしっかりしていれば…この刀もこんな事には…」

もともと、この刀は紫苑から沙姫に贈られたものだ。
恥じ入る気持ちに耐え切れず―――、
ポト、ポト…と涙が刀に零れ落ちた。柄を握る手も震えている。
ここまで気落ちしている沙姫は珍しい。
というか、見たことがない。焔護としては凄く写真に収めたいのだが、
空気を読んで我慢している。

「気にするな。相手が悪かっただけだ。
  この<月光>にも破邪の力はある。相手の武具の<武氣>がその上をいっていた。
  仕方が無いことだ。」
「…。」

フォロー的なコトを聞いて、すぐに立ち直れるはずが無い。
沙姫の瞳は死んだ魚のようになっている。
多少潤んでいるが。

「…―――すまなかったな、沙姫。俺がお前を巻き込んでしまったばかりに」
「そんな、ことはない…ッ!私が…私がただ…弱かった…だけだ…」
「…俺は…正直なところ、お前をこれ以上戦わせたくないんだがな…」

そういう焔護の袖をぎゅっと掴んで、首を横に振る沙姫。
いつも見せないその仕草ゆえにものすごく可愛く感じてしまう、焔護。
所謂一つの…沙姫の萌え要素。

「いやだ…、このまま…終るわけにはいかない…っ」
「しかし…獲物がないとなると…。おそらく普通の――
  いや、普通以上の業物であっても神具が相手では…分が悪いぞ、兄上」
「という事は神具を、か。しかし―――」

焔護の持つ天照、紫苑の持つ月読は既に所有者が決まっている。
言うまでもなく、焔護と紫苑だ。もし仮にこの剣を借り受けたとしても
剣との<氣>の連動は出来ない。つまり持っていても普通より頑丈な武具、
というだけだ。必要なのは所有者のまだ決まっていない神具。

「<素戔嗚>…しか残っていないな」
「むぅ…」

紫苑の言葉に、焔護が唸る。
御剣神社―――ここはその名の通り、剣の神社だ。
そこには究極ともいえる神具が奉じられている。
一つは焔護の持つ天照。
もう一つは紫苑の持つ月読。
古代神話の神の名を冠した剣。
紫苑が以前、沙姫に渡した「月光剣」は月読を模したもの。
同じように天照を模した「日光剣」があるものの―――神具相手では
月光同様歯が立たない。
もう一つ―――、天照之命、月読之命と同じ兄弟神の名を冠した剣が
この御剣神社には封印されている。御剣の名は三剣。最後の一振り。
それこそ素戔嗚尊<すさのおのみこと>の名を冠した素戔嗚。
荒々しいまでの武氣を持つこの神具は表立って御神体とされることなく、
御剣神社に<封印>されてきたものだ。

「沙姫。今までの会話を聞いていれば自ずと分かると思うが―――、
  ここ、御剣神社には元々三本の護神刀がある。
  今思い当たる<神具>はここにある最後の護神刀くらいしかない。」
「それを…私が使っていいのか?」
「…沙姫、我々が持っている<神具>、これを扱えるのは
  神具自体に認められるかどうかにある。
  つまり、神具に認められない者にとっては棒切れに過ぎない」
「紫苑の言う通り―――、つまり<神具>がお前を認めない限り
  意味が無い。そして…<素戔嗚>は封印されるくらいに荒い武氣を持つ。」
「…」
「はっきり言うが、俺は反対だ。神具とはその在り方が意味不明なうえに、
  <素戔嗚>がお前を飲み込むやもしれん」
「だが…だが、このままでは―――!私は、水姫は…」

ぎゅう、と拳を握り締める沙姫。その拳を包むように、焔護が掌を合わせる。

「水姫?水姫がどうかしたのか?」
「さっきの相手…霧夜永姫が、―――…自分こそ水姫の本当の姉、だと…」
「…どういう…ことだ…?」

朝霧家は本来水姫しか娘はいない。
沙姫に関しては情報操作で水姫の姉として認識させているのだ。
それ以外に―――水姫の血縁は焔護にも心当たりがない。

「奴に勝たなければ…水姫は…私は…私の存在は―――」
「―――兄上…」

悲痛な沙姫の言葉に、悲しそうな表情を浮かべる紫苑。
その意を汲み取ってやってくれ、ということだ。
焔護も――、一つ頷いた。

「しかたないな。封印された最後の神具…解放するか。
  ただ、先ほども言ったが、神具がお前を認めるかどうかはわからん。
  お前が食われかけたら…神具であろうが壊すぞ。」
「――ああ…」

真摯な眼差しの焔護に、沙姫も同じように頷いた。
神具破壊ができるかどうかは分からないが。

「私は神具を使うのはあまり賛成しないけどね」

と、突然この場にいないはずの声が聞こえ、障子が静かに開く。
そこに立っていたのは、いつもよりまともな顔をしたマスターだった。

「―――マスター!いつの間に!」
「というか、何でお前が私の家に黙って上がりこんでいるんだ!!!」
「それ以前に話の流れがわかるのか…?」

三者三様のツッコミを受け、マスターは一瞬身震いをしたが、直ぐにもとの
変な顔に戻った。

「ここにはこっそり来たのさ!そして話の流れは夢で見ていた!」

発言も変なものになった。なった、というよりは、戻った、と
言った方が的確かもしれない。
基本的にマスターの言動は異常なものだからだ。
異常が通常というまさに異常な存在。

「また意味不明なことを…。まぁいい。それで、一体どういうことだ?
  使わないほうがいい、というのは」
「―――神具は元来未知の武具だ。
 そう軽々しく使うべきではない。危険だよ。」

真面目になったり奇妙になったりめまぐるしく変化するマスターの表情。
その顔でまともな事を言われても納得できない、と言うくらい
変な顔になったりしている。形容し難いが。

(…未知の…?)
「だがしかし―――、相手が神具である以上普通の武器では
  歯が立たないと思うが…。兄上…?」
「―――そう…だな。
  (マスターにも神具の本質が見抜けていない…?
   神具はマスターが創造したものではない…ということか)」
「でも何が起こるか―――」

なおも追いすがるマスターを一瞥し、焔護は沙姫に向き直った。
いつも半分くらい無視されているマスターだから
あまり堪えてないように見える。

「――マスターの言う通り、神具は扱いが難しい武具だ。
  所有者の命をも喰う可能性だってある。それでも―――」
「それでも――、私は闘わなければならない。アイツと…!
  水姫を護るのは私の使命だ。その為にはどんなことだって耐えてみせる…ッ!」

ぎりりっ、と歯を噛み締めて――、焔護を見上げた。
その瞳からは涙が溢れ、流れ落ちている。
それを手で拭い、わしゃっ、と頭を撫でた。

「…そうか。ならば俺はお前を護ろう。一人で何でもできると思うな。
  お前には俺がついているのだからな。それを忘れるな」
「―――…うん…」

沙姫が年相応に、頷いた。紫苑が沙姫の肩を抱き、微笑む。
ここへ来て漸く沙姫も少し微笑を浮かべた。

「―――という事だ、マスター。状況は既に知っているものとして話を進めるが、
  現状、あの天津甕星と戦うには神具が不可欠だ。
  俺達が戦う事になるかもしれないが―――相手はどうやら沙姫を狙ってくるようだし、
  沙姫も神具を使用させるべきだ」
「ううう…」

子犬が唸るような声を上げてなおも躊躇うマスター。
それを一瞥して紫苑が問う。

「ならばお前は他に何かいい手があるとでもいうのか?
  所有者の決まっていない決戦兵器がここにあるというのにそれを
  眠らせておくのは勿体無いとは思わんのか?」
「うーうー」
「うるさい」

やはり形容し難い表情で抗議を続けるマスターに痺れを切らしたのか、
問答無用で紫苑が殴り飛ばし、マスターは夜空に輝く星となった。