■桜舞市―――御剣神社・朝■


いつものように―――咲は境内の掃除を入念に行っていた。
塵…というか葉っぱ一枚落ちていない。
もはや石庭にも見える境内。掃除しすぎな気もしないでもない。
いっそのことアスファルトで固めてしまった方が手っ取り早い、
と思わせるくらいの美しさだ。
それらを見回して―――、満足そうに頷く。

「咲さん、お茶にしないか?」

社務所内から巫女衣装の―――紫苑の涼やかな声が響く。
静謐な雰囲気を醸し出す境内に、紫苑の声はよく通る。
咲は振り返ってにっこりと微笑んだ。

「――そうですね、紫苑さん。それではご用意しましょう」
「では私はお茶請けを―――」

清々しい朝の一幕だ。

 

 

そんな御剣神社を目指して―――はた迷惑な変態天使、
我らがラスボスこと「Es」は空中を失踪していた。

…。
…目指してはいるのだが、空を駆け巡るのがよっぽど楽しかったのか――
一直線に御剣神社を目指さず…、一直線に上空へ飛んでいた。
「成層圏、ってこのあたりでしょうかねえ?
  地球が青く見えますが…」

既に、成層圏を越えて、どう考えても宇宙空間を飛んでいた。
息できない、とかどうなっているんだ、という話だが―――
どうやらこの女には一般常識論は通用しないようだ。

「この世界は…すっごいやりたい放題出来ますね〜。
  なんでもありです。ありおりはべり、です。」

よくわからないが、そういうことだった。
6枚の光翼が大きく開く。
そしてくるりと反転―――、頭を下に…地球側に向けて、一気に下降した。

 

「―――ッ!?」

紫苑の超々知覚領域が反応した。
得体の知れない巨大な<氣>が高速で近づいてきている。

「紫苑さん!」

咲も気が付く。社務所から境内に駆け出し、上空を見る。
到着まで―――2、1。
轟音とともに、御剣神社の結界が破砕された。
解呪などという手間のかかる方法での結界破壊ではない。
力技と言ってもいいくらいの強引な破壊方法。
―――だが、御剣神社の結界は伊達ではない。瞬時に結界を再構築。
逆に、結界内にその侵入者を閉じ込める。
轟音を上げて結界に衝突し、それを破壊して御剣神社の境内に侵入した
<そいつ>は、鳥居から拝殿へと続く石畳を見事に壊して
しりもちをついていた。
スカート(?)の中が丸見えなくらい堂々としたしりもち。

「…った〜…。鳥がガラス窓にぶつかる心境、
  ってこんな感じなんですね…何にもないと思ったらいきなりぶつかるんだから」

パンパン、と埃をはらい、立ち上がるEs。
ちょっとずれたブラを直しつつ、紫苑と咲の方へ向く。

「―――何者です」

普段の咲ならば、この境内の有様について怒り心頭するはずなのだが、
この女の異様さに―――警戒心が、まず先に立った。
紫苑も同じだ。
既に、抜刀しているという入念さ。
目の前の隙だらけの女を21回くらい斬りつけることなど、容易だろう。
そんな状況に置かれているにもかかわらず―――、
Esはぺこり、とお辞儀した。

「どうもです。はじめまして、私はEs。
  今日はちょっと…現世最強といわれている貴方の力を見たくて
  やってきました。」

紫苑を見ながらそんな事を堂々と口走る。
そもそも、誰が現世最強とか言い出したのだ、という話だが。

「何を―――言っている…?」
「まぁまぁ、とりあえず、一戦でも交えてみませんか?
  私がどれくらい強いのか確認したいんですよ」
「―――ッッ!?」

抑えていたEsの<氣>が、開放された。
轟々と吹き荒れるエネルギーが、御剣神社に充満する。

(なん、だ…この女―――は…!?信じられん…)
「よぃっ…ほっ」

腰にさしている二本の刀を、片方ずつ抜くEs。
両方一片に抜くのは諦めたようだ。
左右の二刀流。
そこで漸く、紫苑は気がついた。眼前の女の奇妙な部分―――
氣質が異様なのだ。
<陽>の氣しかない。
人間であれば本来ありえない波動。
人は誰しも―――陰と陽から成る<氣>を持つ。
そのバランスが陰陽に振れる事によって気分が変わったりするものだ。
陽に傾くと「陽気」とか陰に傾くと「陰気」とか―――。
そして、<陰>の氣のみで構成されるもの―――
焔護や紫苑などが呼ぶ<異形のモノ>。
それらは陰の氣が凝り固まって現れる。
それとは全く正反対。
この女からは<陽>の氣しか、感じない。
だからいつも陽気な言動ばかりなのかどうかは…不明だが。
陰の氣だけの物が<魔>であるなら、陽の氣だけのこの女は<聖>なのか。
どちらかといえば、<性>とかのほうが似合いそうな感じだ。
実は、朝霧水姫も同じ特性を持っていたりする。

(…しかし…)

吹き荒れるプレッシャーに対抗するように、紫苑も神具<月読>を開放。
咲を下がらせて立つ。
清冽な<氣>の奔流がEsの<それ>を押し戻すように
湧き上がる。

(…しかし、隙だらけだ…)

Esの放つ<氣>は達人とか超人とか軽く突破しているにも
関わらず。武器を持っているのに、あきれるほど隙だらけ。
ついでに、構えも全然なっていない。
紫苑からすれば――ただ単に、長いものを二本持ってるだけ、なのだ。

(余裕がある…、若しくは、フェイク、か?)

用心深い紫苑はさらに慎重になる。

「んふふ、来ないのですか?ではこちらから行きますよっ!」

やぁっ、と光翼を羽ばたかせて突進。右手に持った刀で突きを繰り出す。
やはり―――どう考えても、素人の太刀筋。それを半身捻ってかわす。
―――ゴッ。

「――――!!」

突きを繰り出した先の地面が大きく凹んだ。
境内にクレーターが出来ている。
恐ろしいほどの威力だ。直撃すればひとたまりも無いほどの
圧力が放たれていた。思わずぎょっとする紫苑。

「はずしてしまいましたか!これではどうです!」

右手の刀を―――回転させて、横薙ぎ!

「―――はっ!!」

地を蹴り、大きく宙を舞ってかわす。
横薙ぎの延長線上にある木々が、衝撃で折れる。

(―――やはり…!威力は大きいが…、素人、だ。
  当たらなければ意味がない)

横薙いだ切っ先を、そのまま紫苑に向けて切上げる。
だがしかし―――達人の域に達している紫苑に、
その刃先が届くはずがない。
不可視の斬閃も、難なくかわし、半身を捻りながら―――
Esのわき腹あたりに一閃。

(11、12…!!)

「おおうっ!!」

ちょっと面白い声を出しながら逆さまに吹っ飛ばされるEs。
紫苑の横薙ぎを完全に喰らった感じだ。
だが――

(十二層の対物防禦結界…!?何処まで固いんだ)

手ごたえはあった。
しかも12回。12層の断層を一気に押し斬ったような感覚。
それでも―――どうやら相手にダメージは与えられていない。
横薙ぎでただ単に吹っ飛ばしただけ。
かちり、と刀を鳴らし、転がっているEsへと視線を向ける。

(私の力を見に来た…と言っていたな。ならばあえて手の内をさらす必要もない)

ギッ、と―――紫苑の目つきが変わった。
ただでさえツリ目で一見怖そうな紫苑の表情が、睨まれただけで
2〜3cmほど身長が縮みそうな恐ろしさ。

「ぅはっっ、怖っ。」

どうやらEsの身長が2〜3cm縮んだようだ。
慌てて立ち上がろうとするEs。

「―――いくぞ」

丁寧な紫苑はわざわざ今から<斬りかかる>ことを宣言し―――、
その言葉通りにEsとの間合いを詰め、脳天から唐竹の型で斬り付ける。
ただ、その一連の動作が尋常ではないくらい、速かった。
咄嗟に双刀をクロスさせて受けるEsだが―――まるで鈍器の一撃のような
重さに、思わず上体が崩れる。
瞬間、体を反転させて遠心力を載せた紫苑の横薙ぎが
無防備となっている脇腹に直撃。
対物防御結界を、今度は18層破壊。さらにそのまま刀を振り切る。
20層を破壊したところで―――結界の手ごたえが消えた。

(ここが終点か)

横薙ぎに振り切った刀を斜めに構え、一歩踏み込みつつ逆袈裟で叩き斬る。

「―――っっあぅ!」

今度は20層の対物防御結界を抜く勢いで斬りつけて来ているのは
もはや明白。さすがのEsも飛び退った。

「うっわー!!怖ッ!紫苑さん怖ッ!!!! さすが現世最強伝せt…―――っっ!」
「油断はいけませんよ」

こつ、と背中に何かが当たる感触。
それは―――咲の持つ箒の柄。
槍を突くような要領で、こちらも20層の多重物理結界を抜いて、
Esの地肌に柄を突きたてていた。紫苑との――、阿吽の連携だ。
相変わらずのほほえみを浮かべている咲なのだがそれがむしろ怖い。
そのまま―――、圧縮された<氣>の塊を発射。
密着した状態でバズーカ砲を撃たれるような感じだ。
轟音とともにぶっ飛ぶEs。
その四肢をぐるんぐるん回転させながらさらに地面で
何度かバウンドして、漸く止まった。
一方の咲は、その衝撃を中空後方一回転で殺し、綺麗に着地する。

「さて、どうでしょうか―――」

くるっ、と箒を回転させて、本来あるべき側を地面に落とす咲。
箒としてはそれが正しい構え方だ。
一方の紫苑も自然体の形で刀を構えている。

「そうだな…まぁ―――…」



土煙の中で、人影が揺らめいた。
そして、弾けるようにその土煙が吹き飛ぶ。

「痛ったぁーーーー!!!」

Esが現れた。
やれやれ、と紫苑がため息をつく。

「―――そう来るだろうな。」
「…なかなか非常識な方ですね」

少なくとも、咲の一撃は、本気の一撃だった。
場所も御剣神社境内ということで咲が最大限能力を発揮できる場所だ。
本来御剣神社に括られている精霊種の咲は神社から離れるにつれて
能力が低下していく。
相手の異常な<氣>を感じとって、ある程度は予想していたが
フルパワーの一撃を喰らっておいて
<痛い>で済まされた咲は結構ショックだったりする。

「いちちち…、さ、さすがのコンビネーションです。正直なところ、結構いけると
思ってたんですが…これは認識を改めなければならないですねえ。」
「…。」
「ということで、紫苑さんには規格外認定書を近々送付しておきますので」

一歩後退するEs。それと同じように一歩間合いを詰める紫苑と咲。

「―――…逃げられると思っているのか?」
「あなたを野放しにするのは良くないようです」

戦う巫女さん二人の清冽な<氣>の奔流が境内を覆い尽くす。
いかなる手段を用いても、この眼前の変態を倒すという決意を感じる。
一方の変態…もとい、Esは最初から今まで<闘気>を感じさせていない。
それは今も変わらず、だ。
殺気に似たような紫苑の<氣>に当てられているこの状況で、
まったく<気質>に変化を起こしていない。
そしてその―――のんびりした<気質>通りののんびりした口調で言葉を綴る。

「ん、んー、御誘いはありがたいのですが、
今日はまだやらなければならないことがあるんですよ〜。
ですので、これにてご免、ということで。」
「―――逃がさん」

転瞬。
紫苑はEsの背後に居た。そして既にEsの肩口まで斬りつけていた。
なんという気の短さ。もとい、身のこなしの速さ。
―――が。

「さよならー」
「―――ッ!!」

その白刃に身体を断たれることなく、Esの身体が―――かき消えた。
剣圧で鋭く砂埃が立ち上がる。

「―――紫苑さん!」
「馬鹿な…」

招かざる闖入客は―――瞬間にしてその形跡を消し、去って行った。
辺りにはそれらしき気配もない。
どうやら本当に―――帰って行ったようだ。
ふぅ、と小さく溜息を零してから、紫苑は刀を鞘に収めた。

「―――何だったんだ、今のは…」

荒れに荒れた境内を見回して―――もう一回溜息をついた。


■市内―――某所■
「うわーびびったー!びびったー!焦ったー!!」

豪奢な洋室の一角に、Esは居た。
のんびりしてたのは確かだが、最後の一撃は完全に虚を突かれたような感じだ。
虚があったとは思ってない分、かなり驚いていた。
そのEsの足元には不可思議な方陣円が描かれている。

「いやぁ…まさかあんなに強いとは思わなかったなぁ…。
  自分で言っといて何なんだけど、やっぱり現世最強伝説だなー」

そう言いながら方陣円から出る。瞬間に、沸き起こっていた淡い光が消えた。
どうやら一種の転移方陣らしい。
その効果はいかなる場所からでも<この場所>に引き戻すというものだ。
便利だが一回しか使えない。
先ほどの御剣神社からの瞬間移動もこれで行っていたのだが、
紫苑と話している時に既に発動していたのだ。
もう少し発動が遅ければ肩から腰くらいまで一刀両断だったかもしれない。
ふひーと大きく息を吐いた。

「さて、と。―――とりあえず…」

そばにあった机に向かう。
羽ペンと一枚の紙を取り出して―――<規格外認定書>と書き込む。
本当に紫苑に送るつもりのようだ。
文章を一通り書き終えて、丁寧に折りたたむと―――、
封筒に入れて、切手を貼った。

「これは後で投函するとして。さて、次はあの人のところに行こうかな。
  …とりあえずなんかあったら怖いから…」

ペンライトのようなものを取り出して、部屋の一角に先ほどあったような
方陣円を書き込んだ。