■市内―――桐生道場■
市内といっても住宅市街地ではなく、山裾にある道場。
桐生道場はそこにあった。

「っぜええええいいいいいい!!!!!」
「ごわああっ!!!」

ビリビリと大声が道場内に響き、続いて豪快な轟音が鳴り響く。

「どうしたんじゃ!この程度で根を上げるのか、お前たちはァ!」

また道場がビリビリと響く。
師範、桐生幻冬斎による直接稽古。
既に数時間たっているにも関わらず元気いっぱいの爺<ジジィ>だ。
そんな爺の馬鹿でかい声を―――、一人だけ耳を塞いで刹那は聞いていた。
他の門下生は流石にそんな倣岸不遜な行為は出来ない。

「んもー、おじいちゃんったら…もうッ。
  そんな張り切らなくてもいいのにさー。年考えたら?」
「なんじゃとうっ!まだまだ若いモンには負けんわ!
  ウオオオオオリヤァアアアアア!!!!!」

豪快な声とともに―――また一人、門下生が吹っ飛ばされる。
まだまだどころか、数十年先でも負けなさそうな勢いである。

(はァ…いっつもこーだもんなぁ。
胴着に腕通したら急に元気になるんだもん。皆カワイソーだよ、ホント)

既に数人の門下生がぐったりしている。
刹那が数度目のやれやれ溜息をついて、立ち上がろうとした時―――、
一人の門下生が走って道場にやって来た。

「師範ッ、お客様が来られておりますが―――」
「客?」

その門下生の後ろに、青い髪の―――着物の女性が立っていた。
驚いたのは刹那だ。

「あれっ?静奈センセじゃないか。どしたのさ。
  何日か前からガッコ休んでたんじゃなかったっけ?」
「うむ?―――そうか、ここはお主の家か―――おォ、そうじゃな。
  …桐生家か。失念しておったわ」
「―――刹那、静奈を知っておるのか?」

今度は驚いたように幻冬斎が声を上げる。
知るも何も―――青瀬は刹那、紫苑達が通う桜舞学院の非常勤講師だ。
科目は古典。似合っているというか何というか。

「幻坊。」
「―――お前たち、後はいつも通りに稽古しておれ。」

うむ、と頷いてから、いつもより険しい表情で振り向き、門下生たちに
そう告げると、幻冬斎は道場から出て行った。
門下生が、謎の着物の女性が発した<げんぼう>というのが
幻冬斎師範を指し示していたことに気づいたのは随分後になってからだった。
呼びに来た門下生と一緒に幻冬斎を見送る刹那。

「あの方は師範代の学校の先生なのですか?」
「ウン、そーだよ。
  吃驚だなー。青瀬センセとおじーちゃんが知り合いだなんて。
  世の中って意外に狭いねー。」

刹那は知らなくて当然なのだが、桐生幻冬斎は昔、その身に<魂魄の加護>である
<白虎>を宿していたのだ。
その頃から青瀬静奈とは旧知の仲だ。
白峰に<白虎>を委譲してからは会う機会もなかったのだが―――
二人で道場の外にある東屋に腰掛ける。

「老けたの、幻坊」
「ふん―――相変わらずじゃな、お主は。それから儂を幻坊と呼ぶな。
この年でそんな呼ばれ方は恥ずかしいわ」

旧知の仲での軽い口の叩き合い―――。
す、と青瀬の瞳が怜悧なものになる。

「お主、ここ最近の霊脈の乱れ、気づいておろうな?」
「これだけ派手な乱れじゃ、気づかんほうがおかしいわい。
  それに夜な夜な変な連中が跋扈しておる。何度かぶっ飛ばしてやったが…」
「―――うむ。幻冬…火を起こせ」
「寒いのか?」
「そうではない。―――…。」

もどかしそうな表情を見せる青瀬。
真意が伝わらないことを嘆くように、やれやれ、と額を手で叩いた。
叩いて―――ハッとした表情になった。

「お主、天津甕星のことは聞き及んでおるか?」
「…あまつみかぼし?―――あの神具か!
  主<マスター>が封印している神具…だったのう」
「封印していた、じゃ。―――既に盗まれてどこぞの者と
  契約を果たしているようじゃ。焔護のところの娘がやられた」
「小僧の…娘が?小僧に娘が居たのか」

驚くところがずれている。…が、今の青瀬の説明では
そう捕らえても仕方がない。
しかし、年齢から言って焔護の娘の年齢は―――居たとしても
10にも満たないだろう。

「焔護と共に暮らしておる娘、ということじゃ。
  年のころは十八程度。刹那と同じじゃな」

うむぅ…と幻冬斎は唸った。
焔護が十八の娘と一緒に暮らしていることについて唸ったわけではない。
青瀬の言葉を脳で咀嚼しているのだ。豪傑と呼ばれた巨躯の
持ち主ではあるが、別に脳まで筋肉になっているわけではない。

「刹那に火之迦具土を継がせろと――そういうことか」
「お主と刹那が血縁とは知らなんだからのう…。始めは
  お主自身に継承してもらおうと思っておったのじゃが、好都合じゃ。
  あ奴はお主と違って氣質も<火>じゃ。申し分ない。
  今、目覚めさせねば、―――…、天津甕星と対峙した時に戦えんぞ」
「少し考えさせてくれんか?」
「時は迫っておる。手遅れにならぬようにな。―――いろいろとな。
  儂はもう、お主らを手伝えぬからな―――」

そう呟くと、青瀬の体は蜃気楼のように揺らめいて―――、
そのまま消えた。
後に残ったのは人型に切られた一枚の符。

「式…か」

■桐生道場―――夜■
門下生が帰宅した後―――、刹那は一人道場にいた。
いつもの事だ。静寂に支配された道場は一種神聖な雰囲気を醸し出す。
その雰囲気が好きなのだ。
大きく息を吸い込み、氣を体中にゆっくりと流す。
丹田から螺旋状に<氣>を練り、指先へ―――。溢れ出す<氣>を指先に止める。
日々の鍛錬は欠かさない。
―――と。

「刹那!!」
「うわぁ!吃驚したッ!」

収束させた<氣>が指先で弾ける。
周囲に気を張っている刹那だったが、幻冬斎は老いてもなお手錬。
気配を殺し、刹那を吃驚させる事など造作もないことなのだ。
だが、今回の幻冬斎は妙に真面目な表情だ。
軽口を叩こうと思った刹那は―――襟を正して祖父に向かい合った。

「…なぁに、おじいちゃん」
「うむ…」

のしのしと道場内に足を踏み入れ―――、正座して座る刹那の前に、
どかっと胡坐をかいた。
真剣な眼差しのまま、刹那を見る。

「今から儂と手合わせをせい。本気でな。」
「変に真剣だから何事かと思ったら…そういうことならOKだよ」

鋭い眼光から発せられる<氣>をビリビリと感じながら――
刹那は頷いた。
―――そして口の端を上げ、立ち上がる。
それに続いて、座ったばっかりの幻冬斎も立ち上がった。
座る意味があったのだろうか。
―――とにかく、真剣勝負。
もし…というか、むしろ確実に道場が壊れてしまいそうなので、
符術による結界を構成。
具体的には道場の内側にぺたぺたと符を貼り付ける。
これによって道場内は強固な結界に包まれ、
外のものを壊さない。

「―――これでよいじゃろ」
「うんっ!」

そういうと―――二人は道場の中心で向かいあって立ち、一礼した。
そして、構え。
大きさは違うが、さすがに同門といったところだ。
刹那は嫌がっているが。
鏡に映したように対になっているかのごとく、構える。
そして―――

「はぁあああああッッ!!!!」
「ぬうううんンンン!!!」

雄叫びにも似た気合の声がビリビリと道場内に響き渡り―――
衝撃波が走る。
既に拳と拳、蹴り、膝が幾度と無くぶつかり合っていた。
互いの攻撃を悉く防ぎ合い、その間隙をぬって更なる一撃を
繰り出す両者。バチッ、と弾き―――、
刹那と幻冬斎は互いに距離をとった。

「へへっ…なかなかやるじゃないか、おじーちゃん!」
「なんの…!まだまだ若いモンには負けんわい!」

互いに軽口を叩き合いながら<氣>を練り上げる。
刹那の掌に修練された<氣>のエネルギーが、自身の属する五行に
昇華されていく。
―――即ち、火。
燃え盛る炎の塊をその拳に纏い―――放つ!

「火龍連撃掌!!!」

その字のごとく、続けざまに射出される炎の塊。
まるで生き物のように――直線ではなく、曲線的に幻冬斎に襲い掛かる。

「室内で使う技ではないと思うぞ!」

だが、幻冬斎もかつては魂魄の加護を宿していたほどの実力者。
気合一閃、全ての炎の塊を拳による打撃で全て叩き落した。
幻冬斎の<氣>質は<金>。
本来、火剋金の五行相克により、幻冬斎の<氣>の方が属性的に弱い。
だが、百戦錬磨の幻冬斎。
相克をぶっとばす勢いで拳を繰り出す。曰く、根性。
その根性の一撃で刹那の技を吹き飛ばしながら、
その勢いのまま―――足を踏み込み―――、
氣の乗せた打撃を繰り出す。
それを刹那は紙一重で避け―――たが、その威に巻き込まれて
吹き飛んだ。既に常識などぶっとんだ戦闘だ。
だが、刹那もその勢いを利用して宙で回転し、姿勢を戻して―――、
壁を蹴り、再び幻冬斎に襲い掛かる。

「はぁッ!」

両掌から射出される<氣>の塊―――発剄。

「ぬぅううん!」

それらを豪快な拳でたたき返す。―――が、そうなることを
予想していたように、拳の間隙をぬい、一気に間合いをつめる刹那。
大きく足を踏み込んで、体全身から<氣>を放出した。

「ぬぐっ!!」

幻冬斎の巨躯が揺らぐ。
刹那の体は小さいものの、その発する氣の量たるや、祖父の
それを超える勢いだ。
足の先から螺旋に練り上げる<氣>を掌に集中させ―――、
密着状態のまま発剄を放った。
螺旋を描き放出される氣の奔流に巻き込まれ、
大きく吹き飛ぶ幻冬斎。
轟音と共に天井に激突し、そのまま落下。

「―――あ!ちょっとやりすぎちゃったかな!?」
「ぬぬうううう…年寄りを労わらんか…とは言わんが―――」

よっこいしょ、と膝に手をついて体を起こす。
そして、何事も無かったように胴着を払い、腕を組んだ。

「うむ。合格としよう」
「へ?合格ってなにさ?というかなんかの試験だったの?
  ってゆーか、ボクはそもそも桐生流は継がないよ?
  名前カッコ悪いし。きりゅうりゅう、ってヘンだしね。あっはっは」
「…むぅ、お前ほどの適任はおらんというのに…、残念な話じゃが、
  本題はそれではない。―――ついて来い、孫娘よ」

「――ウン」

■桐生道場―――裏手の祠■
幻冬斎につれられてやってきた道場の裏には小さな祠があった。
その中にはさらに小さな廟がある。
それを開いて―――中から赤く輝く宝玉を取り出した。

「うわ、何これ、宝石?とゆーよりおじーちゃん、こんなところに
  無造作に置いてたら盗まれちゃうんじゃないの?」
「価値の分かる者などおらん。盗んだところで二束三文にしかならんわ。
  結界も張ってあるしの。」

小さな宝玉を刹那恭しく渡す。
慌てながらそれを両手で受け取り、しげしげと眺める刹那。
ルビーのような赤い光を漂わせている。
大きさにして直径2cmにも満たない球形の――ビー球のようなもの。

「こんなに綺麗なのに二束三文なの?あ、ガラスなのかな?」
「まぁここではなんじゃから―――道場に戻るか」
「んー?うん。」

なんだかよく分からない、といったように、幻冬斎の後に
続いて再び道場に戻った。

■桐生道場―――道場内■
「これからが本当の試練、といったところじゃ」
「…って、ボク試練やるって聞いてなかったけど?」
「つべこべ言うな。その辺はノリで察するんじゃ」

無茶な理論を展開する幻冬斎だが、その目は真剣だ。
刹那の前に厳かに置かれた赤い宝玉を指差す。

「それに<氣>をこめるんじゃ」
「んー…こうかな?わああっ!?」

―――と、瞬間に炎が沸き立つように燃え上がった。
だがそれも一瞬。
すぐに収まったが―――

「な、なにこれ…?」

ルビーのような宝玉の中に、小さな炎が揺らめいている。

「うわーすごいなぁ!こんなの見たことないよ!
  これ消えないのかな?」

小さな炎が灯っている宝玉を力いっぱいブンブン振り回してみる刹那。
炎は消えない。

「バカ者!そんな事をするんじゃない!」
「え、だってさぁ、不思議じゃないか」
「不思議でもダメじゃ!」
「わ、分かったよそれで、これどーするの?
  いっぱい作ってろうそく代わりにするとか?」
「そんな訳あるか!それはこの世に一つしかないものじゃ。
  ―――御剣の嬢ちゃんの<月読>は知っておるな?」
 
勿論、と頷く刹那。

「それと同じ―――神具なのじゃ!」
「じゃ!って言われても良くわかんないよ、おじーちゃん」

なんか凄いんだぜ!的なニュアンスはひしひしと伝わってくるのだが、
だからといってこれがそんなに凄いものとは全然思えない。
目の前に転がっているのはビー玉より少し大きい赤いガラス玉で
その中に火が灯っているだけなのだから。
どう考えてもインテリアくらいにしか思えない。

「刹那、ここ数日の町で起こる怪異、知っておるな。
  あれは別の神具が引き起こしている可能性がある」
「そーなんだ」

実は刹那も何度か屍人を倒している。
夜の街の異変には気が付いているのだ。地脈の乱れとか
そういう細かい部分はよく分かってない。

「もし今のまま――、お前がその神具と対峙した時、
  確実に負けるだじゃろう。神具とはそれほどの力を持つ道具なのじゃ」
「ふーん」
「桐生家には代々この神具がある。今このときを以って
  刹那、お前にこの神具を継承させる!」
「なんかおじーちゃん目に力はいりすぎだよ?眼力すごい。」
「余計なお世話じゃ」

幻冬斎の力説もあまり刹那には効果がないようだ。
ころころと掌で宝玉を転がしている。
結局のところ、神具についても、幻冬斎が一生懸命色々説明しても
よく分かっていないのだ。

「それで、その怪異を起こしている神具にこれを投げてぶつければいいの?」

刹那のイメージでは爆弾というか、手榴弾みたいな
認識になっているようだ。

「そんな訳あるか!」
「んもー、おじーちゃんの言ってること良くわかんないよ。
  簡単に説明してよ」

ぶーぶー文句を言う孫娘に―――幻冬斎は唸った。
こやつは神具開放の重大さを分かっていない。

「まぁ、よい。簡単に言うとじゃな、その神具の宝珠を
受け入れろということじゃ。それでお前は強大な<力>を得ることになる」
「良くわかんないけ…どまぁいっか。紫苑も神具持ってるんだったよね。
紫苑とボク、神具持ちでお揃いだ。」

相変わらず軽いノリで返答する刹那。
逆に深刻すぎにならないほうが良いのかもしれない―――、
そう思いながら、頷く幻冬斎。

「それで、これどーしたらいいの?」
「うむ。口伝では――、それを自分の体の一部だと思って氣を通す。
そうすれば―――」
「んー、こうかな」

―――瞬間、刹那の視界が白く弾けた。
まるでビデオの早回しの音声のようなものが一気に押し寄せてくる。
膨大な情報が自分の脳に叩き込まれていくのが分かる。

「…! ! !」

遠くで―――幻冬斎の声が聞こえているような気がするが、
雑音が多くて聞き取れない。

(な、に、これ―――)

見たことのあるようなないような風景や人物、音、それらが
津波のように押し寄せてくる。

(あっ、紫苑…?)

中には親友の御剣紫苑っぽい巫女とかも見えたりする。

(うっ、ぐ…っ、な、なんだよ、これ…っ)



「刹那ッ!」
「うわああっ!」

刹那が声を上げたのも無理はない。顔の前に幻冬斎の大きな
ごつい顔があったからだ。

「ちょっ、ちょと、おじーちゃん!吃驚させないでよ、もう」

毒づく刹那だったが、幻冬斎の表情は安堵に満ちたものだった。

「…ふゥ…心配させおって…意識が戻ってよかったわい」
「何言ってんのさ…ってあれ?あれ?」

体を起こして―――きょろきょろと辺りを見回す。
木造の道場ではない。見慣れた自分の部屋。

「あれ?ボク道場にいなかったっけ?
なんで自分の部屋にいるのかな?」
「…お前は丸一日意識が戻らんままだったんじゃ。」
「えーーー!?!?だって、えええ!?ウソ!!」
「嘘をついてどうする」
「ああううぅ〜、ボクの休日がぁああああ〜…」

そこにがっかりするのか?という幻冬斎の呟きは、刹那には聞こえなかった。
ともかく、これで第一段階の覚醒は無事に終わった。
ちなみに沙姫がこの覚醒を完了するまでまる五日を要している。