■市内―――某所■
その男はコンビニに居た。昼食を購入するためだ。
なんでもできそうなのに、意外とご飯はコンビニが多い。
片手にコンビニの袋を提げ、職場へのショートカットルートである
人気のない裏路地を足早に駆け抜ける。別に急がなくてもいいのだが。
暗くて狭いところが怖いのかもしれない。
でも見ようによってはちょっとしたスキップにも見える。
ならば前述はまるで覆ることになる。つまり暗い路地裏好き。
―――まぁ、そんなことはどうでもいいことだが、
とにかくその男は路地裏をそれなりの速さで駆け抜けていた。

―――と。
ずしゃっっ―――、と音を立てて、Esが舞い降りた。
舞い降りた、というよりはむしろ降ってきた、
と表現した方がよいのかもしれない。
それほど唐突な現れ方だった。

「―――な…っ!?」

あまりも突然の出来事に、さすがの男も―――
一個だけ先に食べようと思ってつまみだした<からあげさん>を
落としてしまった。アスファルト上は3秒ルール適用外。
砂埃がたまっているような隅っこにコロコロと転がる。

「漸く出会えましたね、ID<イド>」
「―――な…なんですか、貴方は!?
  私に気づかれることなくやってくるなんて…信じられません…。
  というか、IDってなんですか!?」

そう言いながら後ずさりする。
世界を牛耳るこの男にとって、知覚領域はこの世界ほぼ全域、 と言っても過言ではない。
普段は漠然と感じているものでも、集中すればその詳細まで
知覚することができるだろう。
その―――男が、Esの接近に気がつかなかったのだ。

「私は貴方…あ、もとい、 我は汝、汝は我…我は汝の心の海より云々」
「…私の、影、ということですか…!!」

明らかに台詞の最後を端折っているにもかかわらず
意外と話が通じているような二人。どちらも常軌を逸しているような
存在だからこそ通じるのかもしれない。
男の背中にゾクリとした悪寒が走る。


―――知っている。


誰だかわからないが、知っている。
自身の内側で這いずり回る蟲のような感覚。
何度かこの感覚は…味わったことがある。
いつのことだったのかは明確に思い出せないが、
確かにこの体に染みついている。

「いや、むしろ逆…貴方が私の影なのですよ。
  IDはEsと一つとなって究極の精神体となるのです」
「―――究極の精神体!?」

驚く男。
その甘美な響きとは裏腹に…一歩間違えればお笑いの方向へ転がりそうな
面白単語を鸚鵡返しのように呟く。
究極の精神体なんていう面白発言に対してツッコミを入れる隙すらない。
いや、対象が漠然としすぎて反芻することしかできないのだ。
――強烈な言霊に支配されていくかの如く、動けなくなっていく。

「私自身がこうして現臨し、この世界に直接介入できるようになったのです。
  後はあなたに貸与していたものを返してもらうだけ――。」

男は驚愕の表情で―――改めて、Esを見た。
この変態は…、この世界の理を知っている。
この世界の構成を、
成り立ちを、理解している。
<それ>を知っているのは、自分だけのはず―――、
なのに。
自分より、上位の存在―――
氷柱を背中に差し込まれたかのようなゾクリとした感覚に陥る。

「精神だけあなたに憑依させる必要もなくなった。
  つまり、あなたはもう、用無しなのですよ」

――――Esは天高く、指を刺した。
その指をゆっくりと、男に向ける。

「貴方と、<合☆体>したい」

■市内―――某所■

「む―――!」

縁側で九つの大きな尾をフサフサと動かしていた
普段の着物ではなく、買い与えてもらった
キャミソール+短パンを着ているスズナの動きが止まった。
その変化に――、青瀬十夜…契約者である少年―――が気付く。
いつも、なにもなくてもフサフサフサフサ動かしている。
小さい体に巨大な九本の尾。
フサフサのモフモフなので触ると気持ちいいのだが、
スズナがつい色っぽい声を出してしまうので触るのは控えている。
そのフサフサ尻尾の動きが止まったのだ。

「―――どうしたんだよ、スズナ」
「<理>が…消えた。そして更なる巨大な気配が発生しておる」
「巨大な…気配?」

スズナの言葉を繰り返すように、少女が尋ねる。
神崎涼子。
スズナが雷の魔器の顕現であることに対し、
涼子は水の魔器の<力>を内在する人間だ。

「涼子、お主は感じぬか…?この気配。
  水の魔器の継承者なら気がつくと思ったがのう…。
  現世<うつしよ>全てを覆い尽くさんとする…この気配を」
「なにを―――…」

どくん、
と―――神崎涼子の心臓が跳ねあがった。
正確には、魔器が反応したのだ。
陽たる<魂魄の加護>、陰たる<魔器>。
世界を構成する元素の粋である<モノ>を持つ者には
その世界を揺るがす存在の気配を、敏感に感じることが出来た。
スズナより遅かったが。

「―――なに、これ…!?」
「おわぁ!?」

その涼子に遅れて、十夜も、<それ>を感じる。
スズナと魔器の契約を結んでいるために、その感覚を、
時間差で共有したのだ。
指の先から寒気が駆け上がるような、浸食していくような――
そんな感覚。

「これ、十夜。間の抜けた声を出すでない」

ぺしゃり、と持っていた扇で十夜の頭を一叩きした。
何気に優雅な一撃。

「―――そっ、そんなこと言われてもな…!
  なんだよこりゃ!?全身がゾクッと来たぞ!?」
「―――うむ、思いの外早かったのう。今世は前回と微妙に違う様相を
  見せておるが、間違いなかろう。」
「何が…?」

「―――終りの始まり、じゃ」

いつになく真面目な表情のスズナが、するっと立ちあがった。

 

■ビジネスホテルの一室■
ビジネスホテル、と言ってもそれなりに豪奢な様相を
醸し出している一室。

「…なに、今のは…」

<土の魔器>の継承者である黄坂冥も驚愕の表情を浮かべていた。
あまりにもの異質な<氣>。
一瞬だったがそれに反応して、
冥の漆黒の髪の毛が一瞬黄色に変化したほどだ。
意識せずに臨戦態勢に立たせるほど。
普段から視線で人を殺せるような目つきなのだが、
いつも以上に険しい双眸になる。
つい先日まで起こっていた地脈の異常化。
おさまったとはいえ原因は分からないまま。
そして、この異様な<氣>の発現。
ただ事ではない、ということは分かる。

「――とりあえず、スズナさんのところに行くべきかしらね…」

 

■市内―――某所■

「―――ッ!?」

黒咲綾は勢いよく、振り返った。
脊髄反射のように跳ねる赤城ほむら。
いつものほほんとした表情をしている黄坂舞ですら、
険しい表情を見せている。
そして、大きく目を開いたまま固まっている白峰霞。

「――オッ…オイ、今の、なん、だ…ッ!?」
「わ、分かりません…。感じたことのない<氣>です…」
「なんだか…この世界を覆いつくす勢いだったわね…」

冷たい一陣の風が吹き抜けたかのような、そんな一瞬の感覚。
<それ>が何であるか、分からない。
だが、確実に―――、
巨大な気配の発生を、知覚した。

 

■アクエリアスゲート■

「―――っ?」

ぞくりとした感覚に、一瞬焔護は身を震わせた。
一瞬だけ。
長続きするような感覚はない。
だが、ほんの一瞬、世界が薄い冷気のヴェールに
包まれたかのような感覚に陥った。

「焔護―――」

ソファーに腰掛けていた青瀬が言葉を紡ごうとした瞬間―――