「あまつ…みかぼし?なぁにそれ、焔護さん。」
初めて聞く奇怪な名称を復唱しながら、焔護を仰ぎ見る。
当然澪も、沙姫も聞いたことの無い言葉だ。
同じように―――焔護を見た。
「天津甕星とは神殺しの<神具>の一つ…。そうだな、お前たちに
  分かりやすく言うと―――俺の持っている天照と同じようなものだ。
  人の及ぶことのできないほどの強力な武宝具…神をも殺すことのできる道具だな」
「神さままで…殺してしまうほどのものなのですか…?」
ふるっ、と震えながら復唱する澪。神殺しの意味はよく分からないものの
その言葉のどこか異様な雰囲気に慄いているようだ。
神殺し―――即ち、神が使った武具のことを意味する。神同士が戦う為、当然神を殺す武具になる。
その威は普通の武器の比ではない。故に、武器自身が所有者を
選ぶという特異な性質を持っている。さらにそれぞれに―――、
不可思議な特性までついている。
焔護の持つ天照は―――情報分解能力、
焔護の妹、紫苑の持つ月読は――情報収斂再構築能力。
この二つは特殊な中でもさらに特殊で訳の分からないものだが。
「もしかしたら…天津甕星の意識が覚醒したのかもしれないんだよ!」
声を裏返しながら某キバヤ○のように叫ぶマスター。
意識覚醒という言葉を焔護しか理解できて無いので、周りの皆で
な、なんだってー!?と叫ぶことは無かった。
その代わりに沙姫が口を開く。
「意識の覚醒?神具には意識があるのか、焔護。」
「ああ―――、天照にも月読にもある。
  だから神具の力を最大にまで引き出すには神具との精神的な結合が必要だがな。」
沙姫にはなんとなく理解できたようだが、水姫は全然分からない、と
いったように―――首をかしげた。
「あぁ、つまりだな…俺の場合、天照と意識を合わせる、ってことだ」
「ふーん…?」
いまいちよく分かっていない水姫。
水姫だけでなく澪もよく分かっていない。道具に意識があるという
概念自体―――伝わりにくいものだ。
「で、その天津甕星が覚醒して、 ―――どこかへ消えてしまった、というのか?」
「たぶん」
しゅーんと項垂れたマスターが力なく頷く。はっきりいって可愛くない。
ちなみに、水姫の頭の中には―――刀に足が生えてテクテク何処かへ
去っていくというイメージが鮮明に浮かんでいる。
鮮明に、浮かんでいる。
「追跡<トレース>出来ないんだよ、なぜか!あんなものが人の手に
  渡ったら…意識を乗っ取られる可能性もあるし、私も殺される!」
ジーザス!と両手を広げて天を仰ぎ見た。
本当にショックを受けているかどうか疑問が残る。
「すぐ復活するくせに…お前の生命力はゴキブリ並だろう」
「何を言っている、沙姫。さっきも言っただろう。神殺しの神具だと。
  俺も天照の能力を全開放したら―――マスターでさえ殺せる。
  そういうレベルの問題なんだ」
実は天照も月読も何気に凄いのだ。
「…それって…本当はマスターさんは凄い人、ってことですか?」
もともと凄いのだがこのマスターのキャラクターが全部台無しにしているのは
周知の事実である。
「…ねえ、それってさ、つまり―――マスターさんは普通の武器じゃ
  死なないってことだよね?」
焔護が首肯する。
「だったら―――マスターさんも…神様なの?」
「…ま、当たらずとも遠からず、と言うことだな。俺もよく分からんが」
「ふっふっふ、凄いでしょうよ」
偉そうに胸を張って、腰に手を当てながらどこかの悪役のように高笑いを続けるマスター。
さっきまでジーザス!といいながら半泣きっぽい表情を見せていた者とは
思えない変わりようだ。それを胡散臭そうな目で見ながら、沙姫が焔護を見る。
「焔護、天照を貸してくれ。本当にそれで殺せるのか試してみたい」
「―――ちょほっ!?さ、沙姫ちゃはん!?」
「で、ですが…本当に、その…マスターさんが死んでしまったら大変な事に…」
心配そうに沙姫を見る澪。
そんな視線を受けて、沙姫は澪の頭を優しく撫ぜた。
「一石二鳥だろう?」
どこか嬉しそうに、そして瞳だけは笑っていない表情でマスターを睨みつける沙姫。
「沙姫、気持ちはわかるが―――」
「分かっちゃいやーーーー!」
マスターの奇声を聞いて、一瞬―――、凄く嫌そうな表情を見せる焔護。くるりと沙姫に
振り返って醜悪に笑った。
「やっぱり・・・試してみようか、沙姫」
「試してはダメです、焔護くん!お願いしますお願い!」
必死だ。
半泣きだ。
「―――ま、冗談はここまでにしておいて…。 黒咲たちを捜索に出していないのか?」
「うーん、中央は中央でそれとは別にちょっと大変なことになっているんだよ」
「ひょっとして―――街中でゾンビ軍団が暴れてるとか言うんじゃないだろうな?」
「え?何で知ってるのまだ君にはそのことを説明してなかったはずだけど―――」
ゾンビ?水姫が首を傾げる。いまいち理解できない言葉だ。
既に超常的な<力>を何度も目にしてきてはいるものの―――
さすがの水姫も「そーなんだー」と言うことが出来ない。
「ちょっと待て。本当にゾンビなんていう訳の分からないものが いるのか?
 私には俄かに信じられないのだが―――」
代弁するかのように、沙姫が口をはさんだ。
妖怪やら陰に属するものの存在も一般人にとっては
訳の分からないものだが。
「―――昨日の夜のことなんだがな。
  咲―――御剣神社の咲から連絡が入ってな。――街中で屍人に襲われた、と」
「死人…?死んでるのに動くの?」
当然の疑問。
「まぁ、それがゾンビってことなんだが―――今のマスターの口ぶりでは
 多発的に起こっているようだな」
黒咲たち五人を天津甕星探索に当てられない―――、つまり、
ゾンビ事件が多発しているということだ。
焔護の推測が正しい、というように、マスターが頷いた。
「同時多発的にではなくて、一箇所ずつ時間差を置いて発生したんだ。
  発生場所の法則は掴めないけど、とりあえず5人を分散させて待機させてたんだけどね――。
  夜明けには起こらなくなった。かといって24時間監視させるのは労働基準法的に…ねえ」
つまりゾンビ――屍人が発生するのは夜のみ、ということになる。
「その近くに傘マークの会社があるとか?」
「水姫さん、それはゲームのお話では…」
「ま、とにかく―――、事情は分かった。どちらにしても人手が足りないようだな―――」
そうなんだよ、とマスターが頷く。
「それ以上に―――実は異質な<異形のモノ>もたくさん現れてね。
 そっちにも困ってるんだ」
異形のモノが異質なのは当然なのだが、マスターのいう<異質>というのは、
今までのように外部世界から流入する<悪意>によって形成された
異形のモノではない、という意味だ。
「その口ぶりからすると―――、原因はまだよく分からないみたいだな」
「うん。実際黒咲君たちはそちらの方を屠ることが多いみたい。
  お蔭様で、本来警戒しなきゃいけないゾンビ軍団を捕捉し損ねているんだ」
「ゾンビ軍団…」
ちょっとした面白ネーミングだが、澪はそれを聞いて少し震えた。
そんな澪を引き寄せて、焔護が自分の膝の上に座らせる。
「まぁそんなに心配するな、澪」
「は、はい―――」
顔を赤くしながら、ちょーんと座っている澪の頭を撫でる。
もう片方の腕で水姫も抱き寄せた。水姫もなんだか嬉しそうにえへへーと笑っている。
言うまでも無く、もはや水姫は会話の無いようについていっていない。
「そんな状況ではやむおえんな…。オフィウクスを開放するか…。
  それならオートでもアクエリアスゲートを動かせる」
「オフィウクス…って、なんだっけ?」
「…そうだな、お前はよく知らないが…、というか、澪もよく知らないだろうが、
 昔俺が敵から奪い返した創生のディスクで作ったもう一つのゲートだ」
以前、沙姫がいたところ。
敵の本拠地であった<それ>は
中央世界より奪われた<宝珠>によって次元展開され作られた
場所だった。頭目を制圧した折、宝珠を奪還した焔護はそのまま
それを利用してオフィウクスゲートを創造、そのままゲートとして管理していたのだったが―――。
「オフィウクスの宝珠をアクエリアスゲートに取り込み、
  長時間のオートドライブモードを可能とする。
  つまり、オフィウクスゲートにまわしていたエネルギーを止めて
  アクエリアスゲートの起動維持に使う、ということだ」
まぁ、それでも完全にオートドライブとは行かない。
ほったらかしには出来んがな、と焔護が呟く。
マスター公式公認ではないが、一つのゲートを破棄してまでなさねばならないという
この事態の異常さに―――唯一、沙姫だけが気付いていた。
その沙姫が―――す、と、焔護の目を見つめた。
「―――ならば、私もいこう、焔護。微力ではあるが―――」
「…いや、もし仮に、神具が相手となればお前を守りきる自信は無い。
  ―――そうだな、黒咲たちを手伝ってやってくれないか?」
珍しく自信のないそぶりを見せる焔護。行方不明の神具の<力>の強力さを物語っている。
「あ、ああ―――それはかまわないが…」
ちょっとがっかりしながら頷く沙姫。
だがそれよりも、焔護が<自信が無い>と言ったことに引っかかった。
いつもは過剰なまでに自信満々な焔護に、<そう>言わしめる神具の力。
「それだったら―――、ほむら君と青瀬さんの所に合流してくれないかい?
  とりあえず昨日のことを見直して、2チームで動いてもらうつもりだから」
とりあえず、勃発する<異様な異形のモノ>の殲滅スピードを上げるためだ。
その辺の事情は説明しなかったが、沙姫はその言葉に頷いた。
出来れば焔護と一緒に―――と思っていたのだが…。
「よく分からんが、それでかまわん」
「すまんな、沙姫。よろしく頼む」
「ああ―――」
さて―――、といいながら焔護がコントロールパネルを叩いた。
「マスター、黄坂はどこにいる?黒咲と一緒か?」
「舞さん?そうだねえ、一緒に待機しているはずだけど――
  何か用事でもあるのかい?」
怪訝な――まぁ、いつも変な顔であるマスターが不思議そうに
焔護を見た。これからの行動に関しては黒咲達とは違う動きの為、
連絡を取る必要性は無いと思われたからだ。
「さっきの―――昨日ゾンビ事件を知ったきっかけの
  咲の話なんだがな。どうやら助けられたらしい」
「―――舞さんにかい?」
「いや、黄坂は黄坂でも―――<黄坂冥>という女性に
  助けられたと言っていたんでな――」
「こうさか、めい…」
言いながら回線を黒咲達がいるところに繋ぐ。中央世界にあるマンションの一つだ。
本来、マスターからは各人それぞれに部屋を一つづつ用意していたのだが、
三人一緒に住む、と黄坂が言い張ったために、共同生活をしている。
特にだれとして文句を言うものがいないのでそのままなのだ。
―――程なくして、白峰がモニターに映った。
『こんにちは、お兄様。
  ―――めずらしいですね、お兄様がこちらに連絡を入れるなんて』
「まぁな。…白峰、そこに黄坂はいるか?」
『はい、おられますが―――少々お待ちください』
白峰の返答と共に軽やかな音楽が流れる。
保留音だ。画面には<しばらくお待ちください>と表示されている。
「なんだか放送事故みたいだね、澪ちゃん」
「そ、そうですね…」
苦笑交じりに答える澪。テレビ電話みたいなものだから仕方が無い。
―――と、画面が切り替わり、黒いアダルティな下着姿の黄坂が映った。
遠くから黒咲の<服をー!>という叫び声が聞こえる。
「…とりあえず服着る時間くらいは待ってやる。
  なんか着て来い…、黄坂」
『なーにいってんのよ、えんちゃん。今更じゃないのよう。
  えんちゃんなら中身でも、えっへっへ〜』
悪戯そうな表情を浮かべて下着に手を掛ける。
「こっちは全員見ているんだぞ」
『別にいいわよ〜というか、こっちからも見えてるんだし。』
意味の分からない返答だ。
「マスターもいるぞ」
『そうなの?じゃあマスターだけあっち向いてて頂戴』
「あ、扱いが酷くはないかい、舞さん。返答次第では無邪気な子供のように泣き喚くよ?」
『あら〜、管理職が部下の着替えを覗いちゃって良いわけなの〜?それってセクハラよ?』
―――と悪戯そうな瞳をこちらに投げかけている黄坂に、白いYシャツが
飛んできた。どうやら黒咲から手渡されたシャツを白峰が投げたようだ。
それをもそもそと着る黄坂。
『これでいいかしら?』


「ま、なんでもいいけどな―――」
Yシャツを着たといっても、胸元は大きくはだけているので
先程と変わらないといえば変わらないのだが―――
『それで一体どうしたの?なんだか真剣な顔して…。
ひょっとして例のゾンビ軍団大逆襲のこと?』
逆襲というわけではないが。
そもそも逆襲、という冠がつくならその前にこちらからなにか先手を打って
痛い目にあわせている状態のはずだ。そんな事はしていない。
「ま、そんな感じだな。―――簡単に説明するとだな、うちの咲――
神社のほうの咲が昨日そのゾンビに教われてな。」
<さき>という発音が沙姫と咲の二人いるので説明が面倒臭い。
「危ないところを黄坂冥という女性に助けてもらったそうだ」
『―――ッ』
息を飲む黄坂。こういった表情の黄坂は珍しい。
いつものほほーんとしているから、余計に際立つというものだ。
「…その反応を見ると…知っているんだな、そいつを。
咲の話ではかなりの<霊力>を持っていたそうだぞ。
戦闘中には髪が黄色で、戦闘が終わったら黒に変化したとかいっていたが」
「…サイヤ人じゃないのかな?ほら、穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた…」
「そんなわけ無いだろう水姫」
水姫と沙姫のボケとツッコミが華麗に流されていく。
モニターの中の黄坂はどこか複雑そうだ。嬉しさ半分、困惑半分
といった表情を見せている。
「ま、無理に問いつめはしないがな。お前が関係者なら礼を
言っておきたかっただけだが―――」
『冥ちゃんは…私の妹なの。』
「妹…?舞さん、妹がいたんだっ。」
嬉しそうに黄坂に言葉を投げかける水姫。だが、黄坂はやはり――
どこか辛そうな面持ちだ。
「黄坂、さん…?」
澪の呼びかけに答えるのではなく、どこか自嘲気味に寂しい笑顔を見せる。
『私が黄坂家の重責から逃げて、それを全部押し付けちゃった―――。
そっか、元気なのね…』
「舞…さん?」
「無理に話す必要は無い。ただ礼が言いたかっただけだ。
それから――今回のそのゾンビ事件、俺たちもそちらへ向かう。
俺は別命だが、沙姫が―――こちらの沙姫<さき>がお前たちと合流する。
よろしくしてやってくれ」
焔護がうまく―――うまいかどうか分からないが話を逸らした。
黄坂もそれにつられて表情が戻る。
『沙姫ちゃんが?それは助かるわね〜。待ってるわよ、沙姫ちゃん』
「――え、ええ、足手まといにならないようにします」
実際問題、沙姫は五人の足元程度の実力だ。
どれくらい役に立てるかは分からないのが現状であり、
それを沙姫も十分に理解している。
『またまた謙遜しちゃって〜。綾ちゃんにも伝えておくわね〜』
「ええ、お願いします」
「では、またそちらでな」
『は〜い。それじゃ水姫ちゃん、澪ちゃんも、まったね〜』
「うんっ、また会おうね!」
「会える時を楽しみにしています」
プツン、とモニターが消えた。マスターにだけ言葉が投げかけられなかったのは
いつも会っているから、ということにしておきたい。
忘れられている、という訳では―――多分無い。
その、ひょっとしたら忘れられている―――かもしれないマスターが
半分なみだ目で口を開いた。
…忘れられているという自覚があるのだろうか。
「黄坂さんのさっきの話―――思い出したよ、焔護君。
彼女は――黄坂家の重責から逃げた、って言ったけど真相はそうじゃない」
「…どういうことだ?」
焔護の代わりに沙姫がマスターに尋ねる。
「黄坂家はね、代々地脈を守るという使命を帯びている一族なんだ。
その血脈には一子相伝の<力>が受け継がれている。
一子相伝、つまり、片方だけがその<力>を受け継ぐことが出来るんだ」
「それはどういう意味だ?
もっと分かりやすく言え、マスター」
沙姫の言葉に、うん、と可愛らしくなく頷くマスター。
マスターはもともと説明下手だ。
「そうだねえ、黄坂家を継ぐ者がもともと一人なら問題ない。
けど、もし仮に二人以上いた場合は―――」
「蟲毒…より高みへいたる為に、争った相手の血肉を喰らう。
まぁ、そこまでやっていないとは思うが…そういうことか?」
「そ、そんな―――」
澪の顔が青ざめていく。焔護の言葉で理解したのだろう。
負けたほうは、死。
「舞さんは―――見ての通り卓越した能力者だ。冥さんは―――黄坂家にとって
本来ふさわしくない人間」
「なんでさっ!?何でそんなことが言えるんだよ!」
「冥さんは黄坂家特有顕現の黄色い髪の持ち主ではない。イレギュラーな
存在だったんだ。そんな人間が格式の高い家でどういう扱いを受けるか――
水姫ちゃん、キミにはわかるかい?」
「…っ!」
珍しくまともなことを言うマスター。時々まともになるから
胡散臭さ度が増えていくのだ。
「舞さんと冥さんは仲のいい姉妹だった。舞さんは家の重責から逃げた、
って言ってたけど、本当は―――冥さんを助ける為に――」
なんでマスターが黄坂舞と黄坂冥が仲の良い姉妹だと
知っているのかは不明だ。

それは黄坂舞10歳の頃。
現在でもその能力が見られるとおりだが黄坂舞の霊力は半端ではない。
既にその10歳の頃には異常なまでの霊力が開花していた黄坂舞。
黄坂家の大人面々をコテンパンにぶっ飛ばされるほどの
実力を持っていた。
そして妹である冥もまた霊能力に目覚めていたものの、天才といっても
過言ではない舞には到底及ばないものであった。
誰の目に見ても―――黄坂家の<力>を継ぐのは舞だった。
だが継承の儀式は行わなければならない。
蟲毒にも似た儀式。
強きものが弱きものを喰らいその<力>すら取り込む。
舞には―――妹を殺すことなど出来なかった。いくら<家>の為であろうと、
そんなことは出来ない。一方の冥もまた同じだ。
いや、殺そうと思っても力の差は歴然。

舞は考える。
自分がいなくなれば、継承権は冥のものだ。
いままで―――黄坂家にふさわしくないといって虐げられてきた
冥の<黒髪>も継承者になれば誰も文句を言えないだろう。
全ては妹への愛ゆへに!
数日前から計画していたことを―――、その儀式の最中に行った。
即ち、黄坂家からの逃亡。
既に強大な<力>を持っていた舞に敵うものなどいない。
強固な結界を破り、逃走したのだ。
ちなみに、舞が年下を可愛がる理由はこういった経緯に起因している。

「で、たまたま道をあるいていた私と会って、
  意気投合して今に至るわけなんだよね」
「…最後、胡散臭いな」
10歳の子供と意気投合するマスターを想像しようとして、
まーったく絵が浮かばないのと、そんな事を想像しても仕方ない、という
ことに気がついた沙姫は人知れず頭<かぶり>を振った。
「っていうか、マスターさん今何歳なわけ?舞さん10歳だったんでしょ?」」 
「レディに年齢尋ねるなんて野暮ぼぼっ」
「だれがレディだって?」
すでにマスターの顔面に沙姫の拳がクリーンヒットしていた。
血塗れた拳をマスターの服で拭う。
殴られたほうのマスターは、顔面がちょっと凹んだ状態のまま
起き上がり、鼻を摘んで、空気を吐き出す要領で―――
「べぷっ」
凹みを元に戻した。そして何事もなく話を続ける。
「―――ま、とにかく、そうして舞さんは私の所有する
  孤児院で15歳まで居て、それから退魔のお仕事をしながら高校に
  通ったんだ。」
所有する孤児院、という部分がちょっと引っかかるが、黄坂舞はそうやって
黄坂家から身を隠しながら育っていったのだ。
今まで見つからずに過ごしてこれたのは―――黄坂家として
<後継ぎが逃げた>という汚点を隠蔽したいという部分が大きく
作用しているだろう。
勿論、マスターがいろいろ手を回していたということもあるだろうが。
「苦労、してたんだ…。普段からはぜんぜんそんなの感じないのに…」
ぼろぼろ――と涙を流す水姫。感受性が豊か過ぎではるが、
これも水姫のいいところ、ということしておこう。
些か泣き過ぎのような気がするが。
「成る程な。それで黄坂冥は黄坂家一子相伝の<力>を継承して、
  当主になったということか」
「まー、そんな感じだねえ。黄坂家は地脈を守る、という使命を
  持っている。その黄坂家が出てきたということは―――」
「つまり地脈に何らかの異変が起きている、ということでしょうか?…んっ」
焔護の膝の上に申し訳なさそうに座っている澪が
回答を口にする。
そんな澪の太腿を撫ぜながら―――、焔護が頷いた。
ちなみに、先ほど澪から漏れた桃色吐息は焔護の愛撫のせいだ。
真面目な話をしている最中にもへっちゃらでそんなことをする焔護。
「そういうことだろうな。とすると、ゾンビ軍団も<それ>に
  関係しているのかもしれないな」
「でもそれって、さっきの――あまつみかぼし…と関係あるのかな?」
「関係があったら構図的に分かりやすくていいがな―――」
水姫の言葉に、沙姫が答える。とにかく併発する怪異事象が多すぎる。
「ま、全体像はよく分かった。こちらで動ける範囲で動いていくから
  マスターはそちらの仕事に専念してくれ」
「了解〜。んじゃよろしく頼むよん」
と言いながら、まるで蜃気楼のようにマスターが消えていった。
今までアクエリアスゲートに来る人たちは中央世界と唯一繋がっている
通路を通ってきていたが、ここまでダイレクトに消えてしまう人はいない。
「…やはりあいつも只者ではないな」
「うん、おかしな人だよね〜ボクもそう思うよっ、おねえちゃん」
「いや、そういう意味ではなくてだな、水姫…」
まぁ、確かに得体の知れない人物である。
焔護ですらその正体を掴みきれていないのだ。
「さて―――」
「あ!あ、す、すみません…っ」
焔護が立ち上がろうとしたのを察して焔護の膝に座っていた
澪が先に立ち上がる。顔が赤いままだ。
そんな澪の頭を優しく撫ぜながら、沙姫を見た。
「沙姫、さっきの話どおりだ。まずお前は中央世界で黒咲達と合流して―――、
 手伝いをしてこい」
ああ、といいながら頷く沙姫。今回の事件…不謹慎ながら
沙姫自身少し楽しみなのだ。
修行の成果を試せる。
「期待しているぞ。だが無理はするな」
「分かった」
再び静かに頷く沙姫。
「ねえ、焔護さん。ボクたちはどうしたらいいのかな?」
「そうだな、お前たちは俺たちが帰ってきたらゆっくり休めるように
  ここ<アクエリアスゲート>でいろいろ準備していてくれ。
  食事とか、寝室とかいろいろ。」
「―――はい、わかりました、焔護さん」
「気をつけてね…二人とも。帰ってきたらマッサージしてあげるからさ」