■中央世界―――翌日■
「―――沙姫、そんなに気負うことは無いぞ。
  そもそも例の<アレ>が出てくるのは夜らしいからな」
「ああ―――」
焔護が気遣うのも無理は無い。
沙姫の<氣>が異様に緊張してピリピリと、攻撃的なものになっているからだ。
今なら背後から吃驚させたら一刀両断にされることだろう。
「いや、だからな、そんなに緊張することは無いぞ。
  緊張すれば<力>も思うように振るえない。リラックスしろ」
わっし、と沙姫の豊満な胸を―――まさに鷲掴みにした。
「バッ!バカ!こんな往来でそんな―――」
だがさすがというべきか、周囲からは完全に死角になって
見えていない。
「隙あり、だな」
周囲に気を張りすぎて手元が疎かになっている証拠だ。
そんな沙姫を、焔護はニヤリと悪い笑みを湛えて頭を軽く撫ぜる。
「緊張解けたか?」
「も、もっとやり方は他にもあるだろう!」
真っ赤になりながら抗議する沙姫。だが確かに緊張は解けたようだ。
ちょっと違う意味で体が強張ったような気がするが。
「ま、それもそうだけどな―――。
  お前の乳があまりにもけしからんから、つい」
「意味が分からん!」
「柔らかくていい形だと思うぞ?まったくもってけしからん。ホントけしからん」
まじまじと沙姫の胸を検分する。
その視線を遮るように両腕で胸を隠し、羞恥とも怒りとも
取れる微妙な表情で焔護を睨む。
が、それすらも焔護の思うツボだ。何しろ、この沙姫の
微妙な表情こそ、大好きな表情なのだから。Sだ。
そんなことも知らずに沙姫の抗議。
「そういうことを言っているんじゃないっ!そもそも――」
話が訳の分からないほうへ展開しかけた時、ふと焔護が
視線を別のところへ向けた。
「―――と、迎えが来たようだぞ」
焔護が指差すほうから見慣れた三人組がやって来た。
よくアクエリアスゲートに遊びに来る三人。


黄坂はニコニコしているがどこかだるそうに、その横に居る
白峰と黒咲は黒っぽい服を着ていつもながらカツカツと音を立てて―――
いや、実際には音は出ていないがでもそんな感じで
凛とした雰囲気を漂わせながら歩いている。
「おっはにょ〜ん、えんちゃん、沙姫ちゃん〜」
「おはよう、って…もう昼前ですよ、舞さん」
だるそうに挨拶する黄坂に黒咲がツッコミを入れる。
そんな黒咲にだらーんともたれかかった。一応歩きながら。
「だってぇ〜、綾ちゃん〜眠たいんだもん」
「だって、ではありません、舞お姉さま。舞お姉さまは基本的に睡眠を取りすぎです。
  社会人なら社会人らしくもっと規律正しい生活を送るべきです」
「う〜」
学生の白峰に―――尤もな事を言われ項垂れる黄坂。
…いつもの風景に、焔護はあきれながら首を振った。
「相変わらずだな、黄坂…。さっきまで寝てたのか?」
「あうー、えんちゃんまでそんなコト言っちゃうわけ〜?
  昨日遅かったんだから仕方ないじゃない」
やっぱりだるそうに答える黄坂。
「みんな同じです。お姉さまだけ遅かったわけではありませんし、
  それに遅いといってもそれほど遅くなったわけではありません」
「あ〜う〜」
最年少の白峰が最年長であるはずの黄坂を叱る。
叱られた黄坂はまるでカイワレ大根が水気を失ったかのように
力なくふにゃふにゃ〜とその場にしゃがんだ。
「―――ということは…昨日も出たのか、例のアレが――」
真剣な眼差しの沙姫。だが、黒咲は苦笑混じりに口を開いた。
「いや、テレビゲームのやりすぎだ」
「…」
さすがの焔護も閉口した。
「だってだって〜、待機していなくちゃいけないんだしすることないし、
  せっかくだったから〜」
いつも以上に間延びする喋りになっている黄坂。
間延び口調で、バットをスイングするような仕草を繰り出す。
「わかったわかった。そのへんは後で白峰にこってりしぼってもらえ。
  とにかく―――、沙姫を頼んだぞ。静奈さんとほむらとの
  同行になるとは思うが」
「ああ、分かっている」
しぼんだ黄坂の代わりに黒咲が答えた。
…が、その黒咲をも不安そうな目で見る焔護。その視線に気づいたのか、
黒咲が首をかしげた。
「なんだ…?その目は」
「…酒盛りするなよ?
  お前たち二人が集まったらいっつも酒を呑んでばっかりだからな」
「―――…ほどほどにしておこう」
呑まないつもりは毛頭ない黒咲。
はぁ、と小さな溜息を吐いて、白峰の肩に手を置く。
「…白峰…、お前だけが頼りだ。こいつらちゃんと見張っていてくれ」
最年少の少女にこの三人を見張るという大役を押し付ける焔護。
だがしかし、この少女以外に誰がこの役を務められようか。
「はい、確かに承りました、お兄様。私が責任を持って」
一番しっかりしている。
もう、瞳なんかきりりと光って黄坂以上の精神年齢を醸し出している。
「―――よし。沙姫、何度も言うようだが無理はするな。
  お前が傷ついて嬉しいやつなど誰もいないからな。
  それからお前たちもだ。危なくなったら逃げろ」
「ええ、わかったわ、えんちゃん」
「―――現象を捉え根本的な部分から事態を収束させなければなりません。
  基本的に私たちのすべきことは殲滅より現状調査。心得ております」
「…ということだ。心配するな、と言うほうが難しいだろうが、
  心配するな」
黒咲が真剣な眼差しで答える。
「そうだな…それではまた会おう」
そういうと、沙姫の頭を撫ぜて焔護は違う方向へと歩いていった。
その後姿を見守る沙姫。
「沙姫、行こう。とりあえず現状の説明をしたい。
  今のところ昼間は何も起きていないから大丈夫だ」
「―――ああ、分かった」

■御剣神社―――境内■
留守番巫女の咲はいつものように境内を掃除していた。
既に、神社の結界で―――人が近づいていることは察知している。
箒を置くと、鳥居の方へ視線を向けた。そしてたおやかに腰を折る。
「お帰りなさいませ、焔護さま」
「―――ああ。ここは変わりないようだな」
鳥居をくぐり、清涼な空気が漂う境内をぐるりと見回して
焔護が呟いた。先ほどまでいた街中とはまるで違う
すがすがしい空気。
「はい、ですがこの近くの町まで既に異変は始まっているようです。
  徐々に―――町に漂う陰気が増えてきているようにも思えます」
「そうだな。―――紫苑はいるか?」
「ええ、社務所のほうに。先ほどまでお客様が来られていたので…」
「客?」
その言葉に焔護が怪訝な表情を見せた。
この神社にそうそう客など来ない。そもそも神主不在の神社だ。
まぁ、色々な背景から、参拝客が来なくても生計には問題ないのだが――。
そういう神社だから客は珍しい。
そんな焔護の疑問系な言葉と表情に答えるように、
咲が言葉を紡ぐ。

「お役所の方々が」

時は数刻遡る。
■御剣神社―――午前九時頃■
「―――で、これは?」
御剣神社正当後継者である紫苑は眼前に並べられた数枚の写真を
一瞥すると、向かい側に座る数名のスーツの男を見た。
写真には、殺人事件の被害者の姿が映っている。
中には残酷な殺され方をした物も数枚。
その全てが――まるでエジプトのミイラのように干からびている。
紫苑は疑問を口にしたが―――本当のところは理解している。
「これらは全て―――、一連の連続殺人事件の物です。勿論マスコミには
  緘口令をしいています。」
スーツの男の一人が口を開いた。
一連の殺人事件。
テレビのニュースでも散々放送しているので紫苑も知っている。
ただ内容に関しては――正直な所それほど注視してみていなかったため
よく知らなかったのだが―――
「妖刀…」
「ご明察、その通りです」
目を背けたくなるような現場写真の中で、一番分かりやすい―――
<斬られた>形跡のある一枚を注視する。
袈裟懸けにばっさりと斬られた部分から、まるで水分が抜けていった
ように干からびているのが分かる。
「それで、霊刀のあるこの神社に来たと、そういうわけですか?」
疑われている。
紫苑はそう考えたのだが、逆にスーツ姿の刑事は
苦笑交じりに口を開いた。
「いや、まぁ―――そういう訳ではないのですが…。
  何しろホトケさんがこんな状態ですのでね。殺害時間帯すら分らないんですよ。
  こちらでは手に負えないような事件でして」
確かに、これでは何がどうなっているのかさっぱりだろう。
写真を見る分に―――、一刀の元に切り捨てられているように見えるが、
遺体があまりにも変質しすぎている。普通の捜査や鑑識では
犯行時間帯を割り出すのはほぼ不可能だ。
写真を見ながら現場を分析する紫苑。
「そこで―――」
先ほどまで口を開いていた男の後方に座っていた人物が一歩前へ進み出た。
「正直な所手詰まりでして、貴方に助力を仰ぎたいのですよ。
  ―――陰陽庁からの正式要請だと考えていただきたい」
「陰陽庁―――」
紫苑が呟く。
陰陽庁とは、特殊超常現象を専門に扱う国家機関。
霊障等が管轄の、一般には殆ど知られていない治安機関だ。
ただ、機関といっても組織的なものはなく、在野の霊能者を
統括するようなものだが。
その男が一枚の紙を紫苑に差し出した。その紙の一番下の書名欄―――
そこには<御剣可憐>とあった。
「母上か」
その言葉どおり紫苑の母親である。当然焔護の母でもある。
陰陽庁発足時にマスターの差し金で長官に
なったのである。
だが当の御剣可憐はその事には気が付いていない。
というよりも<マスター>の存在など殆どの人が知らない。
「なるほど…わかりました。この件、調べておきましょう。
  だたし、モノが霊刀と思われる以上物証等の<通常>の判断は
  出来かねる、と思いますが―――」

■時は戻り御剣神社―――社務所内■
「――兄上か」
吃驚させようと思って後ろからこっそり紫苑に近づいた
焔護だったが、逆に吃驚させられて仰け反った。
それを見ていつもどおり「ふっ」と笑う紫苑。
「一体どうしたんだ?こんな時間に来るとは…なにかあったのか?」
「確かに緊急の用件で来たのだがな…、こちらでも何かあったのか?
  役所が来たらしいじゃないか」
「―――ああ、この頃頻発している辻斬り事件についての調査依頼があった。」
「辻斬り?そんなものまで起きているのか。物騒だな。
  いつからこの辺は江戸時代になった」
「連日報道されているぞ?兄上はテレビや新聞を見ないのか?」
「忙しいんだよ、俺は」
そんな事を言いながら、紫苑の対面に座る焔護。
完璧なタイミングで咲によって茶が出された。
ちなみに、お茶請けは羊羹だ。
「―――で?」
ずず、と一口茶を啜って、焔護が紫苑を促す。
紫苑も同じように一口茶を啜って、一つ頷いた。
さすが兄妹だ。
なんとなく動作が似ている。
「その辻斬り事件で使われている獲物というのがどうやら…
  妖刀の類のようでな。現場の写真がこれだが―――」
「モノを喰っている時に見たくない写真だな」
そういいながらも、もぐもぐと羊羹を咀嚼しながら
差し出された写真を食い入るように見る。
「これが…行方不明になっている神具のせいだったら
  捜すのが楽なんだがな…」
「神具?…行方不明とは一体どういうことだ、兄上。
  天照を紛失したというのか?」
怪訝な、というよりむしろ呆れたような表情を焔護に向ける紫苑。
その視線を振り払うように頭を振る。
「そんな訳あるか。俺のじゃない。マスターのところにあった
  天津甕星だ。突然消えたらしい」
「突然消えた…か。召喚されたみたいだな」
「…召喚…」
紫苑の言葉に、はたと手を止める焔護。
その手の向かう先は言うまでもなく羊羹だ。
「覚醒…ひょっとしたら…神具覚醒ではなく、適格者の覚醒か…?
  それならば合点が行くが…」
「手元に神具が無いのに適格者として覚醒するものなのか?」
焔護は再び羊羹に手を伸ばし、もぐもぐしながら頷いた。
確かにその通りだ。
契約・覚醒・対話。
神具を使いこなす場合―――この三つの手順を通る。
最後の対話はともかく、手元に<神具>そのものがなければ契約は
出来ないはずだ。
ちなみに、焔護、紫苑ともにいまだ【覚醒】段階までしか
開放出来ていない。
ふぅ、とため息をつきながら―――湯のみを置く。
「つまり…兄上は―――その行方知れずの神具を捜しにきたのだな?」
「そうだ。マスターからの依頼でな。しかしこう情報が無いと
  動きようがなくてな…」
「ほう、珍しいな、兄上が弱気になるとは」
正直なところ、紫苑はこの<焔護>状態の兄は好きではない。
ついついとげがある言葉になってしまう。
―――が、焔護もそれは承知の上だ。軽く流す。
「弱気とは聞き捨てならんな。とりあえず方向性は決まっている。
  で、―――お前のほうはどうするんだ、紫苑」
「さて、どうしたものか…
  犯行を誰にも見られていないということから…おそらく夜半に
  事件が起こっているだろうから、私は深夜徘徊だな」
「そっちも深夜か…」
「そっちも、とは?」
怪訝な表情で首を傾げる。
紫苑は基本的にアクエリアスゲートやマスターとは別の行動…というか、
一応普通の生活を送っている為、そこまで<世界の裏事情>に
詳しくは無い。退魔の仕事は時々依頼があって行う程度だ。
「いや、こっち―――というか、俺のとは別件だがな、
  蒼華市の方では屍人が夜中に歩き回っているそうでな―――
  そちらのほうに沙姫が当たっている」
「沙姫が…」
「沙姫単独ではないがな」
「しかし屍人とは不可解だな。一度見てみたいものだが…」
興味本位、というわけではない。
「そうだな。俺も実際には見たこと無いし交戦もしたこと無い。
  咲が詳しいと思うが―――」
「咲さんが?」
「ああ。聞いてなかったか?咲が昨日襲われた相手こそ、その屍人だ。」
「そうか―――いや、詳しくは聞いていなかったが…」
昨日咲が帰宅した時には既に紫苑は就寝していた。
今朝少しその話をしていたのだが、具体的内容を話す前に
先刻の客が来たため、有耶無耶になっていた。
「ま、それはあいつらに任せておくがな。
  とりあえず俺は天津甕星について調べてくる。
  少しの間ここを拠点にするから…よろしくな」
「よろしくも何もここは兄上の実家だ」
「まぁ…な」
なんとなく、――数年行方をくらませていた身としては
どうにも肩身が狭いようだ。
「そう思うならいつもの兄上の姿に戻ってくれ。
  私は…兄上が<その格好>の時は兄上と思っていないからな」
「やれやれ…だな」
焔護はあからさまに面倒くさい、という表情のまま、
茶を喉に流し込んだ。