イデアの本質 第一話
■アクエリアスゲート―――朝■
「は?」
焔護は全身を使って疑問を表現した。
「だからだな、朝起きたらこうなっていたんだ」
「ボクもビックリしちゃったよっ」
水姫と沙姫が交互に口を開く。
焔護の目の前には水姫と沙姫、その横には困ったような表情を
見せている澪が立っていた。
「朝お会いした時には既に…」
いつも以上にオロオロしている。
「でもさーなんでこんなことになったんだろうねっ。」
「分からんな…。水姫、何か変なものでも食べたんじゃないだろうな」
「もー何言ってんだよおねーちゃんってば。
さすがのボクもそんなことしないよっ」
露出の多い衣装を着た沙姫と動きやすさ重視パンツルックの水姫が
いつものようにボケともツッコミとも分からない会話を続けている。
「昨日食べたものだって澪ちゃんが作ってくれたゴハンだったし、
それにおねえちゃんも食べたじゃないかっ」
「まぁ、それはそうだな…」
ぷぅ、と膨れっ面を見せる沙姫に、水姫が納得して頷く。
二人の問答に焔護が間に割って入って制した。
「つまりこういうことだな。
朝起きたら水姫と沙姫の人格が入れ替わっていた、と」
「ああ、端的に言うとそういうことだ」
「そのとーりだよっ、焔護さんっ」
<沙姫の顔をした水姫>と<水姫の顔をした沙姫>が
焔護の言葉に大きく頷いた。
「しかし一体どういうことなんだろうな」
ソファーに腰掛けた焔護が二人を交互に見ながらつぶやいた。
その横には必要以上にべたべたくっついて胸を押し付け、
腕を絡ませてニコニコしている沙姫と、困ったように腕を組んで
恰好良く立っている水姫がいる。
「…なんかビジュアル的にものすごく新鮮だな」
「喜んでいる場合ではないだろう、焔護…」
「ま、それもそうだな。とりあえず―――今日朝起きるまでの
お前たちの行動を話してもらおうか」
「わー、なんだか事情聴取みたいだねっ。テレビで、見たことあるよっ。
あ、でもしまったなー、ボクってばアリバイ工作してないよ」
「いや、する必要はないぞ、水姫」
「あうぅ…私なんだか分からなくなってきました」
意味の分からないいつもの会話だが、ボケとツッコミが逆になっている
(見た目的に)ので、澪は多少混乱していた。
「ああ、すまないな、澪ちゃん」
「こら、水姫。無理に私の口調にしなくていい。私には
お前の口調は真似できん」
「えっへへー」
一向に話が進まないのを見かねて、焔護が口を開いた。
「水姫、お前の昨日一日の行動を言ってみろ」
ソファーの横に立つ水姫に問いかける。
「焔護、水姫はそっちだ」
「あ、そうか。俺もわからんようになってきた。
水姫、昨日の朝からどんなことしてた?」
「んー…とね…。なにしてたっけ…別に変なことはしてないんだけどなぁ…」
なにやら難しい顔で考え込む沙姫顔の水姫。
その隣で水姫顔の沙姫もううむ、と唸った。
「特に何も―――昨日は…そうだな、水姫と一緒に勉強したくらいか」
「勉強…だと?」
焔護の表情が曇る。
それもそのはず、アクエリアスゲートに来てからは<ここ>で勉強など
しているのを見たことがない。学校の宿題や勉強は
自宅でしているからだ。
「うん。そうだったね、確かに珍しいと言えば珍しいか」
「―――ちょっと分からないところがあってな。
教えてもらっていたんだ」
言いながら水姫が頷く。
が、ふと違和感を覚えた。何かがおかしい。何が?何処がおかしかった?
水姫が―――、沙姫に勉強を教えてもらっていた…
水姫が―――。
水姫が―――?
水姫?
が?に?
に?が?
「ちょっと待て」
「ん?」
「なんだ、焔護?」
沙姫顔の水姫と、水姫顔の沙姫が怪訝な表情で焔護を見た。
澪もきょとんとした顔で焔護を眺めている。
「―――誰が、誰に教わっていたって?」
「いや、だから私が水姫に勉強を教えてもらっていたんだが?」
沙姫が。
水姫に。
「ば…馬鹿な!」
「ええ?なんで?」
きょとんとする沙姫顔の水姫。
「水姫が沙姫に勉強を教えるなんてコトあるのかッ!?
そんな…そんなバカなコトが…!」
「そこまで驚く事かな?っていうか焔護さん、ボクのこと
バカだって思ってるわけ!?」
「あ、ああ、いや、そういうわけではないが、その…あの、なんだ、
ものすごく意外なコトだから」
珍しく焔護が慌てる。想定の範囲外の行為だ。
まさか沙姫が―――水姫に勉強を教えてもらっているなんて…
「別に驚く事はないぞ。そもそも学校のテストでは
文系は水姫のほうが点数がいいからな」
「なにィィイッ!?」
「そ、そこまで驚かれなくても…。確かに水姫さんは文系お得意ですよ。
テストの順位発表でも張り出される用紙にお名前がありますから」
「そんなにかッ!?」
水姫達の通う蒼華学園高校は中間期末、それに実力テストの結果が
上位30位まで発表される。
つまり、水姫は文系に関しては上位30位以内に入るくらいの
実力があるということだ。
一学年が30人というオチはない。
「んー、まぁ、名前が出るのは時々だけどね。
 お姉ちゃんは理数常連だけどさ」
「まぁ、得手不得手が逆ということだな。私はあまり文系は得意ではない」
「むぅ…」
まだアクエリアスゲートがなかった頃、焔護は水姫達の通う蒼華学園に保健医として
潜入したことがあるのだが、テストの発表なんて霊的事件の捜査に
関係がなかったので見ていなかった。
「しかしそんなに…とは…。いや、アクエリアスゲート内で
 俺にとって<意外>なコトが行われたから空間にその異変が
 作用して人格交換が行われたのかもしれないな」
「どれだけ敏感なんだ、このアクエリアスゲートの空間は」
「っていうか、アクエリアスゲート自体もボクのことをバカだと思ってたわけ?
んもう、しんじらんないよ!」
「まぁそういうな、水姫…。しかしこれが原因なのか?自分で言っておいて
 なんだがいまいち納得出来ない原因だな」
水姫と沙姫を交互に見ながらうむむ、と呟く焔護。
しばらく考え込み―――ふと顔を上げた。
「実際この空間―――アクエリアスゲートは俺の霊子から出来ている。
 空間が予想外の自称に対してそれぞれを取り違えたのかも知れんな」
「だがそれだけで精神が入れ替わるというのは…」
「いや、実際に精神が入れ替わっているのではなく―――ひょっとしたら
 見た目が変わっているのかも知れん」
「ほえ?見た目?」
「お前達は我々自身が対象を見ることによって視覚的に対象を意味づけている
 と思っているだろうが―――<そのもの>も自情報を発信しているんだ」
「…どういうことだ?」
「そうだな―――例えば、お前が沙姫であることを意味付けしている要素、
 とでも言っておこうか。俺達がお前を沙姫だと認識すると同時に、沙姫自信も
 自分は沙姫だという情報を俺達に与える。その相互認識によって<沙姫>という
 存在が決定されているという事だ」
「なんだか哲学的にもきこえますが…」
「まぁな―――、ふむ、この仮定ならやはり納得がいくな。
 俺にとっての意外性=アクエリアスゲート空間にとっての意外性と
 仮定すると、水姫が沙姫に勉強を教えた、という意外な事象に対し、
 アクエリアスゲート空間は水姫=水姫(という外見情報)であることに疑問を抱いた。
 一晩かけて空間認識情報を修正し、我々の視覚的情報を補正、
 水姫は沙姫(の外見)である、と視覚的に認識させるようにした。
 同時に沙姫は水姫で(の外見)ある、という修正も施されたのだろう」
一気に捲くし立てるように―――、いや、自身に言い聞かせるように
早口で難しい事を喋る焔護。
水姫には勿論、澪にも沙姫にも理解できていない。
「あ、あの、焔護さん、…わ、私なんだかよくわからないんですけど…」
「そうか、ちょっと難しかったな、澪。
 簡単に言うとだな、今の状態は水姫は水姫だけど、違うように見えてしまう、
 と言うことだ。アクエリアスゲートから出れば誤情報はなくなる。
 だが、再びアクエリアスゲートに入ると水姫は沙姫に、沙姫は水姫になる」
「んー、その説明でもいまいちよくわかんないよ?」
「結局のところどうすればいいんだ?どうすれば元に戻るんだ?」
沙姫顔の水姫と水姫顔の沙姫が困ったように焔護を見た。
「そうだな、アクエリアスゲート空間の認識を元に戻せばすべて解決だ」
「具体的には?」
「簡単なことだ。―――沙姫が水姫に勉強を教えてやればいい。
 そうすれば空間認識がもう一度補正されて元に戻るはずだ」

■アクエリアスゲート管理室―――翌日■
「おっはよー!焔護さんっ。って、うわ、どーしたのさその眠そうな顔!」
「上手くいったようだな」
水姫顔の水姫が勢い良くやって来た。
それを確認して焔護は嬉しそうな表情と大きな欠伸を繰り出した。
水姫の後に、沙姫顔の沙姫が部屋に入る。
「なにがあったんだ、焔護」
「あぁ、いや、ちょっと徹夜したからな…」
アクエリアスゲートの空間認識プログラムを修正しているうちに朝になって
しまったということだ。
一晩一緒に付き合ってコーヒーを入れたり夜食をつくったりしていた
澪は、同じ室内にあるソファーで静かに眠っている。
「やはり予想通りだった。お前たちが勉強を始めてから空間認識プログラムが
  修正作業に入りだして一晩掛けて認識変更を行っていた。
  その完了確認出来たのが午前3時で、そこから認識プログラムにロックをかけて
  テスト実行まで2時間、認識固着完了にさらに1時間かかってしまってな。
  まぁうまくいったからよかったが―――さすがに眠い、これから澪と仮眠を
  取るから家事は任せた」
喋るのも疲れる、と言わんばかりに一気に説明すると、
寝ている澪を起さないようにお姫様抱っこで抱えてそのまま
管理室についている簡易ベッドの中に潜り込んだ。 
「ん、ゆっくり休んでて」
「任せておけ」
2人の言葉を聞き終わらないうちに軽やかな寝息が聞こえ出した。
水姫と沙姫は顔を見合わせてちょっと苦笑しながら
焔護と澪を起さないように―――そっと部屋から出て行った。

■アクエリアスゲート―――キッチン・夕方■
「うはっ、これはいい出来だっ。これなら澪ちゃんにも劣らない
  いい出来だよ〜」
澪の代わりに家事掃除洗濯をし、最後の仕上げとばかりに夕食を
つくりに取り掛かっていた水姫は満面の笑みを浮かべながら
持っていた小皿を置いて火を止めた。
いままで料理をあまりしなかった水姫だったが、今日はクリティカルヒット並の
出来栄え―――、いや、それ以上だ。
キッチンには芳醇でまろやかでそれでいてしつこくない美味しそうな
匂いが立ち込めている。
それもそのはず、水姫は沙姫が作った簡単な昼食を取った後から
キッチンにこもりっきりで料理をしていたのだ。テーブルには豪勢な料理が
沢山並んでいる。
―――そこに、沙姫がやって来た。
「―――いい匂いだな…。
  ん?もう起きていたのか、澪」
「ほえ?」

■アクエリアスゲート管理室―――簡易ベッド■
「むぅ…もうこんな時間か。仮眠のはずが結構眠ってしまったな。
  これでは仮眠ではなく完全睡眠だな…」
「ん…っ」
「あぁ―――起してしまったか…すまんな、澪」
焔護がもぞもぞ動くせいで澪が目を覚ました。澪も今まで
全く起きなかったというのも凄いが、2人ともよっぽど疲れていたのだろう。
「あ、え、えっと、おはようございます…あ、あれ?
  どうして私、焔護さんと一緒に寝て…?」
「―――ちょっと待て水姫。何の冗談だ」
「はい?」
「まさか…」
ベッドの横で、水姫が首を傾げた。
―――と、同時に管理室のドアが勢い良く開き―――
「焔護ッ!水姫が澪になった!」
「ボク澪ちゃんになった!」
沙姫と、澪顔の水姫が慌しく入ってきた。ベッドにいる水姫顔の澪も
水姫の顔のままおろおろしている。
「し、しまった、テストプログラムを本番用にコンパイルして
  セットするの忘れていた!」
「…つまり、あれか。昨日と同じということか…。
  普段料理をしない水姫が奇跡の作品を作ったせいで空間が誤認してしまった、と」
「分かりやすい説明をありがとう、沙姫!」
そう叫ぶとモニター席に飛び乗って勢い良くキーをたたき出す焔護。
奇怪な文字列が怒涛の如く流れていく。
「うわー、なんか凄い勢いだね」
「そう…だな」
(水姫さんのからだ…凄い、胸おっきい…)
「よしっ、これで一旦強制的に空間認識を解除して、情報をリセット!
  そしてEOJ後にもう一度再起動!」
ブン、と小さな電子音が響いたかと思うと、水姫と澪の周囲が揺らぎ―――、
元通りの姿に戻った。昨日徹夜したのが無駄だと思えるくらいに速い仕事だ。
「あっ、元に戻ったよ!」
(も、もうすこし水姫さんのからだでいたかったかも…)
「よかったな、澪―――。…どうした?頬を赤らめて」
「いっ、いえ、あの、なにも――ないですよ、あはは」
「ふぅ――、疲れた」
ぐったりと背もたれに身を預ける焔護。少し微笑ながら、沙姫がその肩を
マッサージするように揉む。
「ご苦労さま」
「ま、俺のミスだからな。やっぱり半分寝ていては駄目だな。
  ちゃんと起きて仕事しないといかん。結局澪と半日寝てしまったし―――」
「―――は、半日寝ていたのですか、私…
  あ、あの、ちょっとシャワーを浴びてきてもよいでしょうか、
  こんな姿で焔護さんの側にいるのは申し訳ありません…」
そういうと、よれよれのメイド服の澪は恥ずかしそうに背を向ける。
よれよれになっているのも当然、そのまま寝ていたのだから。
「そうだな、では一緒に風呂に入るか!」
「あっ!それじゃボクもーーーー!!ほら、お姉ちゃんも一緒に
  お風呂入ろうよ!皆でお風呂だっ!」
「結局そうなるのか!!」

まぁ、そんなこんなで平和なアクエリアスゲートだった。

終わり