■アクエリアスゲート キッチン■

とりあえず―――午前中の早い時間に一応の仕事を終えた俺は
ふらふらとアクエリアスゲート内部を探索していた。
探索といっても、自分で作った空間だから細部まで知悉しているのだが、一応。
…ま、その―――暇だし。
水姫は昨日夜遅くまで頑張ったから昼まで寝るーとか言っていたし、
沙姫は朝からトレーニングルームにこもりっきりだ。
まったく、引きこもりめ。健康的に外に出て遊んだらどうだ?とも思うが、
トレーニングは運動だから健康に…いいのか。
澪も―――なにやらキッチンにこもってごそごそやっている。
それをこそっと、というか、キッチンの入り口で眺めているのだが―――、
澪は集中していて俺に気付いていないようだ。
「うふっ、うふふふっ。」
こわいぞ、澪。しかも次々と包丁を取り出して笑う澪。
そんな澪は―――包丁をみて無気味に笑う澪は澪じゃない。ブラック澪…
いや、ダーク澪だぞ。
なんて思考回路がイスカンダルへ向けて旅立とうとしている。
まて、そこへ行く必要はないんだ。
すーはーすーはー落ち着け、落ち着け俺。よし落ち着いた。
「―――どうしたんだ、澪。そんな包丁の切先見て微笑むなんて」
「ひゃうっ!」
びびくううっ!!と二・三段階に驚く澪。まるでブリキの人形みたいだ。
ぎぎぎぎ、と体をこちらに向かせて―――頬を朱に染めながら、
いつもどーりのハの字の眉で、ついでに怯えた愛玩動物のような紅い瞳で、俺を見た。
これはこれで可愛いものだ。
「い、いつからそこにおられたのですか…っ?」
「お前がその包丁を取り出して笑い出したところからだが」
「はわあぅ、恥ずかしいですぅ!もっと早く声をかけてくださったらいいのに…!」
かけられるか。
さすがの俺も怖いぞ。いつもは大人しい澪が刃物を持って無気味に笑う所を見ると。
今の――顔を真っ赤にしてもじもじしている姿は最高だけどな。
「―――って、それは俺がお前にプレゼントした包丁セットか」
「は、はい…。だから、嬉しくって…」
なんとも健気なヤツだ。こちらまで嬉しくなってくる。ダーク澪を見ていても。
くしゃっ、と澪の柔らかい髪を撫ぜる。
「それで、今日のお料理はどれを使おうかと思って―――包丁と会話をしていました」
かいわ?
「どのコも自己主張が激しくて…決めかねていたのですが―――…。
  焔護さんはどれを使えばいいと思いますか?」
「お前、凄いな…。」
いろんな意味で。
いや―――確かに、無機物の声が聞こえるという
達人クラスの人間の話は聞いたことがある。モノと会話する、それこそ
極めし者―――極意を身につけたものなのだろう。
恐らく、そういう意味で澪には自分が使う道具の声が聞こえるに違いない。
という事は―――調理する食材の声も…聞こえるという事だろうか?
…私を食べてーとかそんな感じで。いや、いろんな種類の食材がある。
中には…助けてーとかそんな声も…。うわあ…
「どうしたんですか、焔護さん…。どうして私をそんな哀れむような目で
  見つめるのですか?」
純真な赤い目を輝かせて俺を覗き込む澪。うっ…可愛いな。
「いや、別に哀れむとかそういうわけじゃないぞ!野菜と会話が出来るなんて
  凄いと思ってな。」
「お野菜と会話…ですか?」
「あれ?さっきそんな事言ってなかったっけ?」
「あ、包丁と会話をしていたということですか?ふふっ、あれは冗談ですよ。
  焔護さんが下さった包丁ですので、どれも使うには勿体無くて―――
  でも、使いたくって。」
そういう事か。
澪が野菜たちの阿鼻叫喚の中、楽しそうに料理をしているなんていう
いらぬ想像をしてしまった。嫌がる食材を次々に切る―――飛び散る鮮血。
地獄絵図は脳内からデリートだ。
しかし、澪がそんな冗談を言うなんて意外だな。いや、嬉しい意外性だが。
「そうか…まぁ、あまり料理の事は詳しくないからなんともいえないが、
  その食材にあった包丁を使えばいいんじゃないか?」
確かいろんな種類の包丁が入っていたと思う。菜切りとか出刃とかは勿論…
他にもどーやって使うんだ、と思うものも入っていた。
自分で作り出したけど、参考資料を見ながらだったので使い方は分らない。
自慢じゃないが、料理は殆ど出来ない。水姫もあまりうまく作れないが、
何を隠そう俺は水姫より出来ない。
「え、ええ―――そうなんですけど、包丁を決めてからお料理を考えようかな、って
  思って。―――あ、何かお食べになりたいものってありますか?」
―――澪が作った料理なら何でもいいのだが―――…と思っているのが
顔に出ているのか、澪は可愛らしく腰に手を当ててぷく、と頬を膨らませた。
「ダメです、具体的に仰ってください」
なんとも可愛らしい仕草だろう。―――この場合、食べたいのは食事より澪をいただいて
しまいたいところだが、きっとそんな事を言うと―――
この包丁で俺が料理されてしまう。多分。
「とは言うものの…なかなか難しいな…。」
色々思案しながら―――、澪の包丁セット見ると―――
麺を切る時に使う大きな長方形の刃の包丁が目に入った。
「ラーメン。」
「え?」
「良く考えると―――ラーメンってアクエリアスゲートで食べた事ないよな。 
  どうだ?出来そうか?」
「えっと、えっと…―――なんとかできそうです」
ちらりと包丁を見る澪。麺を切る包丁―――。それは即ち、麺から作る意思の現れ、
という事だろう。そこまで拘る必要はないとは思うが、
食事に関して口出しすると澪に怒られてしまいそうだ。黙っていよう。
料理は澪のテリトリーだ。
「楽しみにしているぞ、澪」
「あ、はい。―――でも、仕込みに時間がかかるかもしれないので
  夜でも宜しいですか?」
「そりゃかまわんが―――いったいどんなのを作る気だ、澪…」
「くすっ、それは出来上がってからのお楽しみ、ということで」
嬉しそうににっこり微笑む澪。本当に嬉しそうなその表情をみて―――、
なんだかこちらまで嬉しくなってしまう。これは晩御飯が楽しみだな。
「では、お昼は麺以外―――炭水化物も少なめのお料理にします」
「―――ああ、任せる」
さすが澪、その辺の細かいことまで気を回すとは…。頼もしい限りだ。


―――そしてこの夜、アクエリアスゲートに<澪の中華伝説>の
幕が上がった―――。

おわり。