「―――さて、これでアクエリアスゲートの区画整理が一区切りついた訳だが…」
そこまで言うと、焔護は澪の入れたコーヒーをぐい、と飲み干して
後ろにいる水姫、澪、沙姫の三人に振り返った。
管理室、と銘打たれているこの部屋はその名のとおり、
アクエリアスゲート内部を管理する部屋だ。
時間的に―――、掃除も食事の準備も洗濯も、全部終わっていて、空白の時間…
実質フリータイムという訳だが、特に何をする訳でもなく、
焔護の居るこの管理室に集まっていた。
水姫は、作業をする焔護の隣にちょこんと―――いや、ぴちょーん、と密着して
座って焔護の作業を楽しそうに見ていて―――、
澪はコーヒーセットを用意して、焔護達にコーヒーを淹れたり、料理の本を読んだりし――、
沙姫はその横で文庫本を読んだり澪とおしゃべりしたりしていたのだが―――。


「訳だが…の続きはなぁに?、焔護さんっ。」
きょとんとしながら水姫が尋ねる。
いや、水姫だけではない。澪も、沙姫も、続く言葉がわからない。
三人が三人とも首を傾げる。
焔護が突然何かを言い出すのはいつものことだが、今回は余計にわからない。
分らないというより、意図が読めず困惑していた。
「いや、とりあえず―――、一段落ついたから他の設備も作ろうと思ってな。
何か欲しいものはないか?」
「は、はぁ…と申されましても…」
「別に今のままでいいとは思うがな。別段不自由している物はないぞ」
澪と沙姫の言葉に、水姫が頷く。自分たちの部屋も用意してくれたし、
その他のリビングキッチン等々、生活に必要な物は全て揃っている上に
中央世界の「自分たちの部屋」に直結している何処でもDOORみたなのも設置されている。
「ま、それとは別に、だ。何かほしいものはないか?」
「―――ううん、ボクたちは何も要らないんだよ」
水姫はその細い指を焔護の指に絡ませながら―――
いつもの「元気な笑顔」ではなく「柔らかい笑顔」を見せた。
「だって―――ボク達は…焔護さんと―――皆一緒に居る事が出来る、
それだけで十分なんだもん。
幸せな事って、案外身近な所にあるものなんだよ?」
「…急に真面目な事を言うな、水姫。吃驚して心肺停止状態になるだろ」
「そこまで吃驚しなくてもいいと思うが…ま、水姫の言う通りだな。
私たちは―――こうやって再びお前に出会えた。これ以上求めるものはないさ」
「はい―――…沙姫さんの仰る通りですね――私たちはお側に居られる事だけで
もう十分なのです…」
そっ、と自分の胸に手を当てて、幸せそうに微笑む澪。
それを見て―――沙姫も嬉しそうに澪の頭を撫ぜた。
「まったく、優等生ばっかりだな。俺が採点するなら5億点やるところだが…」
「5億点は貰いすぎだと思うよ」
「そもそも満点は一体何点に設定してるんだ…」
「ま、それは後々語ってやろう。
とにかくお前たちがそういうなら―――勝手にプレゼントしてる」
そういうと、おもむろに眼前のキーボードを高速で叩きだした。
本当にちゃんと打っているのか疑問に思うくらい早い。
だが眼前のモニターには、ずががががががっががががっがががっががっがっががーーー
と神代文字みたいなサンスクリット文字みたいな英語みたいな日本語みたいな
そんな文字が羅列されては流れていく。
「プレゼント、ですか?」
澪の質問に―――手は動かしながら顔を澪に向けて頷いた。
「ああ、―――そうだな、まずは澪には―――焔護地聖式
包丁セット一式をプレゼントだ!」
言いながら強くエンターキーを押す。
「え?」
澪が目を白黒させている間に、転送空間にジュラルミンケースのような物が出てきた。
この転送空間はアクエリアスゲート内で精製された物質を具現化することが出来るのだ!
だが、アクエリアスゲート内部でしか使えない、といった微妙な設定がある。
仮に―――中央世界に持っていくと、霊子の齟齬により物質が極地的相違事象を起し
その物質を中心とした同心円状に核分裂を伴った爆発が起こるかもしれない。
ちなみに、その規模は物質の体積、質量に比例するとかしないとか、真偽の程は
定かではないが。
「ほら、俺が作った包丁一式だ。まー中央世界に持っていったら
形成次元の不一致で物質融解して霧散するけどな」
どうやら消えてしまうらしい。
特に局地的相違事象による核融合爆散は起こらないようだ。
「い、いただいてもいいのですか…?」
「ああ、当然だろ。いつも美味い料理を作ってもらっているしな。」
嬉しそうにそのジュラルミンケースを抱きしめる澪。
焔護も嬉しそうに澪の頭を撫ぜる。ジュラルミンケースを抱きしめるメイド。
絵的になんとなく不気味ではある。しかも中身は包丁。こわい。
「鬼に金棒、ってヤツだねっ」
「そう…ともいうのか?」

「さて―――、そうだな…沙姫には…何がいいかな。
うーん…トレーニングルームとかはどうだ?」
「あ、ああ―――お前がくれるなら私は何でもいい…。」
なぜか頬を朱に染めて目線を外す沙姫。そこは照れる所ではないと
思うが、多分沙姫にとっては、その台詞を言う事自体が
照れる事なのだろう。
「それじゃ、地下に作ってやる。設備は俺に任せておけ」
「わ、分った。」
それじゃ―――、と最後に残った水姫に振り返る。
しかし、ここで困った。
水姫が喜びそうな物―――というか、大体喜んでくれそうだが…。
「うーん…」
思案しながら水姫の頭を撫ぜる。
流れるような茶色の髪に指を通しながら―――考える。
当の水姫は頭を撫ぜられているだけで蕩けそうな表情をしているが、
ま、それはあまり関係ない。
「―――何が欲しい?」
「うー、ボクが選ぶんじゃなくてさ、焔護さんが選んでくれるから
意味があるんだよっ。お姉ちゃんが言ったとおり――何でもいいんだ、
焔護さんが選んでくれるならさ。」
「なんかおまえ達…変に人間が出来上がってるな。一体何があったんだ?」
「私たちは青い鳥を見つけたということだ」
「―――意味が分らんな」
「わかんない?あははっ、この中で一番子供なのって焔護さんかもしれないねっ」
「失礼な…。」
やれやれ、と頭を振って思案する。―――と、前アクエリアスゲートで結構好評だった物が
このアクエリアスゲートにない事に気付いた。
どうせ作るなら前のよりもっとバリエーションを増やして作ってみよう。
焔護は一つ頷いた。
「何かいいものが思いついたのですか?」

「ああ、風呂だ。裸と裸のお付き合いが出来る風呂だ。
水姫だけじゃなくて澪も沙姫も一緒に入れるくらいの巨大なものをな!」
なぜか自信満々に言い放つ焔護。その真意は―――定かではないが
何となく想像は出来る。
「おおおー!それはいいねえ、焔護さんっ!裸と裸の突き合い!」
「つ、突いてどうする、水姫!」
「そうだぞ、具体的に言うと裸と裸の結合だな」
「―――っ!!!」
顔面からぼしゅ、という音を出しながら真っ赤になっていく沙姫と
はわわー、といいながら頬を朱に染める澪、そして「にゃはーん☆」とか
いいながら焔護に抱きつく水姫。
「そーいえば前も澪ちゃんと一緒に焔護さん洗ってあげたりしてたねっ。」
「そ、そんな事までしていたのか…!」
「え、あ、は、はい…だって、いつもお世話になってますし…。」
「そう、か…」
戸惑いながらもにっこりと微笑む澪に―――どこか毒気を抜かれたように…
それでも赤い顔をしたまま、焔護のほうへ痛い視線を向ける。
「こらこら、一言言っておくが、別に強要している訳ではないぞ。
むしろ逆に俺が弄<もてあそ>ばれているからな。」
「も、弄んでいるのか!?」
「弄んでるよっ。ねー、澪ちゃんっ」
自信満々に言い放つ水姫。同意を求められた澪は困惑しながら頷いた。
「ほ、殆どが水姫さんが―――ですけどね…」
「そうだな。嫌がる俺を無理矢理…こうやって…」
「手つきはやめろ、手つきはっ!」
「だが実際、無理矢理俺を…」
「何言ってんのさ、焔護さん!焔護さんもノリノリでボクに
ヤってるじゃないか、こんなかんじで〜。」
「水姫も仕草はやめろっ!」
赤くなりながら叫ぶ。どういう仕草をしているのかは、此処では明言を避けるが―――
焔護は意外そうな、というか、不思議そうに澪を見る。
「うーん、そうだったか?澪」
「は、はい…。」
顔を赤くしながら、首肯する澪。というかもうあんまり思考能力が働いていないみたいだ。
ツッこみ終わった沙姫も思考が麻痺したように―――真っ赤になって呆然と立っている。
「おーし、それじゃ水姫には風呂だな!決定!風呂の横にはベッドをつけておこう。
ウオーターベッドとかエアクッションとかそんな感じのヤツを!」
「おおっ、それはなんだか楽しそうだねっ!たっのしみだあっ!!」
YィYES!!とばかりに拳を作ってガッツポーズ!
「よし、善は急げだ!沙姫のトレーニングルームと…あ!トレーニングルームに
巨大プールをつけよう!それなら沙姫の競泳用も楽しめるし…!
我ながらいい考えを思いついたものだ!―――水姫、手伝え!」
「おっけー!うわーいっ!!!」
くるりと背を向けてキーボードをたたき出した。その横で、水姫が焔護に渡された
メモ用紙にイメージ図を書いていく。
「な、なんだかとんでもない事になって行っているような気がするが…」
「そう、ですね―――。」
「「ひゃっほー!」」

大はしゃぎで何かをしている焔護と水姫を、ただ呆然と見守る澪と沙姫であった。