テニヌのお姫様たち



「とゆーわけでだ。テニスをやる事にした」
いつもながらの突然の焔護の宣言に―――、一同は面食らっていた。
いや、面食らっていたのは沙姫と澪だ。
水姫はいつも通りの感じで「おー!」とか言って激しく賛同している。
「あ、あの、焔護さん…テニス、って…」
「ん?テニス知らないか、澪。テニスってのはラケットもって
 球を打ち合う競技だ」
大雑把な説明だ。
「い、いえ、競技内容は存じておりますが―――」
「そうではなくてだな、何でいきなりテニスをやろうと思ったんだ?」
怪訝な表情で―――というよりは呆れた表情で澪の言いたいことを
代弁しながら焔護を見る沙姫。
いつもながら、振り回されている。
「そりゃお前、テニスをやる理由はただ一つ」
「なぁに?」
「お前たちのテニスウエア姿を見たいからに決まっているだろう」
「…ま、またそんな適当な理由で…」

「えっへへー、まぁいいじゃない、沙姫お姉ちゃん。運動にもなるしさっ。
 ボクたちの姿見てもらおうよっ」
嬉しそうな表情の水姫。その水姫の言葉に焔護も鷹揚に頷いた。
「そうだぞ、沙姫。このテニスは普通のテニスじゃない。
 お前の修行の一環でもある」
その言葉に、複雑そうな表情だった沙姫の目が怜悧に光った。
修行、という言葉に反応したのだ。
一種条件反射のようなものになっている。
「―――どういうことだ?」
「ラケットを見てみろ」
手渡されたラケットを見ると―――小さなサンスクリット文字のような
不思議文字がびっしりと記してあった。
「これは…?」
「修行の一環、といっただろう?このラケットを使う事によって
 <氣>が通る。まぁ…霊刀と同じものだ」
「ほう…」
修行好きの沙姫はこの一言でやる気が出たようだ。
水姫は始めっからノリノリだし、澪も焔護の言葉には従順だ。
「それじゃ―――お前たちは着替えて来い」
水姫、澪、沙姫にそれぞれ衣装を手渡す。衣装と表現すると変な感じだが、
普通の…テニスウエアだ。
「うんっ、それじゃちょっと待っててね〜」
「…衣装換えの必要性に関しては疑問が残るが…まぁいいだろう」
「あれ?私だけなんか変…」

―――数分後。

ある一室を改造したテニスコートに焔護が立っていた。
なぜか胴着姿だ。
それは置いといて、この一室は特殊なフィールドになっていて、
潜在パワーをこれでもか!というくらい引き出せたり
引き出せなかったりする特別な部屋だ。
なぜこんな部屋を用意したかというと、焔護が楽しむ為。
それ以外に無い。
とまあ、そんな部屋に―――着替えを済ませた三人がやってきた。
「おっまたせ〜」
「おいッ!なんでこんな格好になるんだ―――!!」
「どうして私だけ体操服なんですかぁ…?」
楽しそうな水姫、顔を赤くして羞恥心に悶えながらやってきた沙姫、
そして、一人だけ体操服―――ブルマ姿の澪。
「お、似合ってるぞ、3人とも」
「ちょっと待て!なんでテニスウエアなのにニーソックス穿くんだ!?」
「それは俺の趣味だ」
「んなっ!?」
呆れて物が言えない、とばかりに天を仰ぐ沙姫。
その横から澪がおずおずと出てきた。
「あ、あの…焔護さん…どうして私は…私だけ体操服なんですか…?」
「澪、もの凄く似合ってるぞ」
極上の微笑みで澪の頭を撫ぜる焔護。しゅううう…と
澪の顔が赤くなっていく。ついでにうれしそうだ。
「えっ、あ、あの―――ありがとう、ございます…」
答えになっていない回答に、澪は満足したのか素直に頷いた。
なんというか…自己主張が出来ない澪。
だがそれが逆にいいのかもしれない。
「それじゃやるか。そーだな、まずは水姫、沙姫。
 向こう側に入れ」
「おっけー!」
焔護の言葉に水姫がたたたーと向かいのコートに入る。
沙姫もそれに続きながら、振り返った。
「わかった。…そちら側はお前と澪か?」
「――いや、こっちは俺だけだ。澪は…そうだな、審判だ」
「ええっ!?私審判なんてやった事ないです…」
「まぁ座っているだけでも良いから」
「は、はぁ…」
「変則的にやるからな。普通のルールは関係ない。
 とにかく後逸したら駄目、ってことで」
「まぁ、分かりやすいといえば分かりやすいが、それは
 もはやテニスとは呼べんな」
「そうだな…それじゃテニヌで」
なんだそれは…と呟きながらも、焔護に言われた通り、水姫と
一緒にコートに入る。
前衛が沙姫、そして後衛が水姫。ただ、前衛後衛と分けているが
もはやこれはテニヌなので別にそんなのは関係ないのかもしれない。
「んじゃー!いっくよおおおおおおお!!!!!」
妙な気合の入れ方をする水姫。
サーブだ。
左手に持たれたボールが、なぜか蜃気楼のようにゆらゆらと歪んで見える。
それを―――、真上に、空高く投げた。
そしてそれに目掛けジャンプし、そして、ラケットで打ちつける!!
「―――って、バレーじゃないんだぞ!!!水姫!!!」
沙姫のツッコミも間に合わない速度で撃たれたボールが、
とんでもないスピードでコートの上空を駆け、そのまま焔護の背後にある壁に
突き刺さった。
「な――――!!!」
沙姫の驚きも無理は無い。突き刺さったボールはいまだその回転を止めず
半分ほど壁にめり込んだままなのだ。しばらくして漸くその回転が収まり、
ぽとん、と落下する。ついでに、めり込まれた壁の一部がバラバラとボールの
周囲に零れ落ちた。
勿論壁にはボールを一回り大きくした程度の穴が開いている。
「ひええええ…?」
「むぅ、失敗失敗〜。今度はちゃんと狙うからねっ、焔護さん!」
「ほう―――…なかなか面白いな、退屈しなくてすみそうだ。
 だがな、水姫。既にテニヌと銘打っているが、一応基本はテニスという
 形式を取っている。相手にぶつけるのはちょっとちがうぞ。
 それではドッジボールだ」
「ドッジボールも違うと思うが…」
「あっはは、ごっめーん! とりあえず、相手のコート内に
 一回ボールおとさなきゃいけないね!」
多分それで正しいのだろうが、なんか違うような気がする沙姫だった。
とにかく―――、転がったそのボールを澪が拾い上げ―――
「わっ、熱い…。あの、大変だと思うけど頑張ってね、ボールさん…」
そのボールが持つ熱量に驚きながら、水姫に手渡す。

「ん、ありがとっ、澪ちゃん。
 ―――それじゃ―――、行くよ!ボクのこの想い、受け取ってよね!」
「来い水姫!お前の愛、全力で打ち返してやる」
「…ほどほどにな」
なんとなくクサい台詞と、愛を打ち返していいのかという疑問と、
沙姫の「やれやれ…」感が漂う。そんなことはお構い無しに、
先ほどと同じように左手でボールを握る水姫。ゆっくりと瞳を閉じて
精神力を高めていく―――…。
「こーのいーちだにかーけろー…!」
歌うようにつぶやく水姫。
蜃気楼のような揺らめきがまるでボールに吸い寄せられるように、
はじめはシュゴー、徐々にキィン、キィン―――と音を放ちだした。
そして―――
「いっっっっけえええええ!!!!」
ガォン!!!
最早ラケットにボールが当たる音ではない。亜音速にも似た笑撃的な
スピードでボールが宙を疾駆する!!
「駄目だ、水姫ッ!この軌道ではさっきと同じで―――」
「壁に激突しちゃいます!!」
沙姫と澪の絶叫!
別に叫ぶ必要はないが。だが―――水姫も叫んだ!
「落ちてっ!」
「落ちるか!」
沙姫の渾身のツッコミ!しかし、落ちた!ボールが鋭角に落ちた!
水姫の願いが天に通じたのか、それともボールに通じたのか、
…落ちた。がくん、と。そのスピードを保ったまま。
「―――嘘ッ!?」
目を疑う澪。そりゃそうだ。
もー何がなんだか分からない。ネットの上30cm上空を地面と平行に
飛んでいった<水姫の想い>が詰まったボールが、
水姫のお願いを聞いて、まるでフォークボールのように…、いや、
ナックルボールのように、いや、たとえようがないが、とにかく急降下したのだ。
勢いそのままコートに落下したボールはぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーーー!と
地面にへばりつきながら回転して、本来の軌道とは違う方向に
進路を修正、一気に焔護に向かって跳ね上がった!!
「やるな水姫!さすが俺が見込んだ女だ!」
「名づけて、<一途な想いシュート>だよっ!!!」
「シュートと言う命名はおかしいと思うが…」
もう沙姫のツッコミなんて聞こえない。
とにかく、焔護目掛けて跳ね上がるボール。なんかものすごく長い時間を
かけているような気がするが、一瞬だ。ほんの一瞬。
そのボールを―――
「―――ふっ!!」
ぱこーん!と打ち返した。テニスっぽい音がする。
通常の物理法則どおりの軌道を描き、相手陣でバウンド。ものすごく普通だ。 
さっきの超常現象ボールが夢のような、普通さだ。 
そこに絶妙のタイミングで沙姫が入る。 
「はぁっ!」 
交差気味に体を半回転させながらラケットを振るう。 
パァン、とはじけるような衝撃音を伴いながら―――、来たボールを打ち返した。 
それを再び、焔護がテニスっぽく打ち返す。 
「水姫!」 
「おっけー!」 
届かない、と判断した沙姫が後衛の水姫に指示をした。 
それを読んでいたのか―――、既に水姫はボールの軌道延長線上に 
走っている。 
軽やかな打撃音が繰り返される。初めだけ異常だったが、これは 
傍から見ても――澪が見ても普通のテニスだ。 
「…?」 
でも、何か違和感を感じる。 
「―――あれ…?」 
「水姫も気が付いたか―――!」 
パァン!と打ち返しながら、沙姫が呟く。水姫の<想いを込めたシュート>以外―― 
自分たちは焔護に向けて打ち返していない。 
左右に走らせるつもりでコートの右側、左側に打ち分けている。 
―――が。 
「―――そ、そうです!水姫さん、沙姫さん!! 
 焔護さん、あの場所から一歩も動いてないんです!!!」 
「なんだと!?」 
そう、まるで焔護に吸い寄せられるように―――、打ち返したボールが 
全て焔護に向かって軌道修正している―――いや、軌道修正させられているのだ。 
「そ、そんな…!これじゃ、まるで―――」 

―――焔護ゾーン!!! 

「うははははーーー!! 
 どうした2人とも。その程度の威力ではこれを破る事は出来ないぞ」 
高らかに笑いながら、ペコッとボールを打ち返す焔護。 
「なるほど、そういう事か―――全て回転をかけられて、 
 打ち返してもその回転によってお前の元に戻る、ということか」 
納得はしているが、本来物理的に不可能なような気がしないでもない。 
もう、何が正しくて何が間違っているのかなんか分からない。 
「ならばその回転―――止めるしかないな」 
沙姫のラケットがキュンキュンと何かを収斂するような唸り声―― 
音を上げ始めた。 
そのうち、ラケット全体からバチバチと放電現象を起し始める。 
「こぉぉぉぉ…!!」 
深呼吸をさらにゆっくりにしたような呼吸法。それに伴い沙姫の<氣>が 
昂ぶっていく。 
「おねえちゃん!?」 
「しばらく頼む、水姫」 
「―――う、うん、出来るだけやってみる、よッ!」 
水姫の打撃力が増した。インパクトの瞬間に<想い>を込める! 
衝撃音がパカーン!からガッコーン!に変わった。 
水姫の想いがプラスされ、球威に重みが出る。 
「む!」 
威力倍増の球威に、打ち返す焔護のラケットがぶれた。 
ふらふらーとボールが向こう側に帰り―――― 
「おねーちゃん、行ける!?」 
「ああ―――水姫」 
なんだかよくわからない構えの沙姫。確か黒っぽかったラケットが―― 
蛍のように光り輝いている。ついでに沙姫の<氣>が蒸気のように 
吹き上がり、揺らめいている。 
「これは―――、沙姫さんの…無我の境地!!!」 
「はぁああッ!!!!」 
レーザービーム!!! 
チュン!という以外、なんと表現したらいいのか分からない。 
光の早さにも似た―――いや、実際そこまでは早くはないが、澪にとっては 
それくらいに見える速さで焔護のコートに突き刺さる。 
誰もが(水姫、沙姫、澪)抜けた!と思った瞬間。 
同じスピードで焔護がバックステップをした。いや、少しだけ焔護の 
バックステップのほうが早い。 
一足飛びで高速ボールを追い越して―――反転。 
「なかなかやるな沙姫!だが溜めに時間がかかりすぎだ!」 
先ほどの沙姫同様、異常に光り輝くラケットで、水姫と沙姫に 
背を向けながら、すくい上げるように打ち返した。 
「第四のカウンター、盥<たらい>落し!!」 
第一から第三は一体どうなっているんだ!という沙姫のツッコミも虚しく、 
天高く打ち上げられたボールが沙姫と水姫の間に落ち、 
跳ね上がらず、その場でクワンクワン…と転がった。盥落しだけに。 
「―――な…っっ…」 
「うはー、凄いね、これ。これじゃ打てないや。 
 打つにはコートに落ちる前に打たなきゃいけないねっ」 
「え、っと、フィフティーンラブ…?」 
よくわからない、と言った感じに澪が呟く。 
「やるな、焔護…こんな―――いろんな意味で反則系な技を使うとは 
 思わなかったぞ」 
「いや―――お前たちこそ、なかなかやるじゃないか。 
 そうだな、澪、お前も入れ。3対1だ。見ているだけではつまらんだろ」 
「え―――、で、でも私、足手まといになると思いますが…」 
「そんな事ないよ!ボク達の愛の合体技、見せてあげようよっ、澪ちゃん」 
基本事項ではあるが――、多分テニスに合体技は無い。 
だが、水姫の力強い言葉に、澪も漸く頷いた。 
三人がコートに入り―――、ラケットを構える。前衛にテニスウエアとニーソックスを
穿いた沙姫、後衛にテニスウエアの水姫、そしてブルマの澪。
絵面がなんと言うか…異様だ。
だがそんな事はお構いなしに、とばかりに焔護が構える。
ルール変更で、どちらかが後逸した時点で勝敗が決まることになった。
なぜか。
それはいまさら確認するようだが既にテニスではないからだ。
「それじゃ、いくぞー。せっかく澪が入ったし、澪のところへ」
ぽこーん、とサーブを打つ。何の変哲もない、至って普通の―――
というか、それ以下のぬるい打球だ。
なんだかんだ言いながら澪には甘い。
そんな甘いボールを―――
「え、えいっ!!」
ぶうん―――と、打ち返し―――た。
いや、実際ラケットはボールを捕らえず完全に空を切っていた。
そりゃそうだ。
ラケットを振るときに目を瞑っているのだから。
ボールが見えているはずが無く、故にラケットは虚空を切ることになる。
―――が。
ボールは澪より後ろに飛んでいくことなく、
見えない壁に跳ね返るように、ポーンと、焔護のコートに
飛んでいった。
「…は?」
これで何度目だろうか、沙姫の間の抜けた表情は。
澪の周囲に壁―――いや、跳ね返ったボールの角度からして、
球形の…壁?があるように思える。でなければ、あんな中途半端な空間で
ボールは跳ねない。
簡単に状況を説明すると、澪の周囲にある見えない壁にボールが当たって
焔護の方へ跳ね返っていったのだ。
それを―――焔護が軽く打ち返す。
「やあっ!!」
焔護から打ち返されたボールを水姫がさらに打ち返す。
手首のスナップを利かせるようにして打たれた<ソレ>はまるで
生き物のようにグネグネと軌道を変え、焔護のコート落ちた。
スナップを効かせた程度でこんなに変化する訳無い。
「こっちもこっちで…訳分からん」
多少頭が痛くなる沙姫。
だがこんな事で負けてはいられない。沙姫の目つきが変わった。
完全に戦闘用の瞳。三白眼化している。
「ようやくやる気になったか―――沙姫!」
蛇―――いや、ミミズがのた打ち回るような軌跡を
えがきながら向かってくるボールを、完全に捕らえる。
「イニシャルD!」
といいながら打たれたボールは、あさっての方向に向いて
飛んでいった。
―――が。
「―――えッ…!?そ、そんな!ボールがものすごいカーブをして
 こちらの方向へ―――!」
「ま、まるで溝に落ちたように鋭角に曲がってくるよ!」
「ひるむなっ!ただ曲がっているだけだ!」
具体的にいうと、テニスコートの横側の観客席に向けて
打ち込まれたボールが、軌道修正して相手コート目掛けて
飛んでいっている。
「こ、こんなことで負けないよ―――!」
一瞬にしてボールとの間合いを詰める水姫。
大きくラケットを振りかぶる。
「―――あ!」
打ちつけようとした水姫の動きが一瞬止まった。
眼前に―――、向こう側のコートに―――焔護が二人いる。
「ぶ、分身!?」
あまりにもの衝撃に硬直してしまった体をなんとかたて直し、
ボールを打つ。
片方の焔護の所にボールが飛んでいき―――、
その片方の焔護が打ち返した。
「ば、馬鹿な―――残像…とでもいうのか!?」
「ひょっとして初めから双子だったとか!」
もし双子なら―――今まで気がつかないほうがおかしいだろう。
残像も、実際にはありえなさそうだ。
人の網膜に映りこんで、それが消えるまもなく別の場所に
移動するなど―――。そんな速さで移動していたら
いつかバターになってしまう。
「ひゃううっ!」
いろんな憶測が飛び交う中、澪が何とかボールを拾い、打ち返す。
もとい。
空を切ったラケットとは関係なく、澪の周囲に展開されている(であろう)不可視の壁に
あたって跳ね返った。
そのボールが、焔護をすり抜けてぽとっと落ちる。
「あ、しまった。残像側か。タイミングが悪すぎた。」
―――やはり残像だったようだ。人智を超えたスピードでコート内を
駆け巡る焔護。一足飛びにボールに追いつき、打ち返す。
ふわふわーとまるで綿毛のようにゆっくりと宙を
舞いながら水姫たちのコートへと、向かうボール。
重力という単語を消失してしまいそうだ。
「く―――、もうなんというか、言葉が見つからん…!」
いいながらも必死にボールを追う沙姫。だがその後ろから―――
「おねーちゃん、ボクに任せてっ!」
なんだか全身から湯気のようなオーラを放つ真剣な水姫がいた。
静かな闘志が渦上になって巻き上がる。
「こ、これは―――伸縮自在の極み!」
「アジャスター付ベルトのことか?」
「ち、ちがいます―――、ほら、見てください!ラケットが―――
 伸びたり縮んだり―――!!!」
澪の解説。
なんでそんな訳の分からない単語を知っているんだという
ツッコミをよそに、確かに水姫のラケットが伸縮を繰り返す。
しかし―――
「しかし、いったいアレになんの意味があるんだ?」
「…え、えっと…よく分かりません」
そんな疑問を他所にもはや既に水姫は次の段階に入っていた。
ラケットを持ったまま、両腕を組んで――、大きく後ろへ振りかぶる。
「あ、あれは―――!両腕が重なり、ま、まるで水がめのような
 形を成しています―――!」
「…そうか?私にはよく分からんが…」
ま、とにかく、水姫がなんだかよく分からないポーズを決めた
―――絶妙のタイミングで、ふわふわとボールが来る。
「いくよ、地球の磁場による神秘の輝き―――」
「オーロラエクスHション!!!!」
まるでハエ叩きを両手で持って思いっきり叩きつけるように、
ラケットを唐竹型に振り下ろした。
七色に輝く衝撃波。
静かな轟音が鳴り響き、それ<ボール>が螺旋の軌道を描きながら真っ直ぐに
焔護に向かって襲い掛かる。
避けても、ちょうどラインの上に落ちるくらいの角度。
避けるわけにはいかない。
「成長したな、水姫。だが――!!」
異様な変化を見せる水姫の打球を、ラケットの外側から――
フレームに引っ掛け、捉えた。七色の虹彩が爆ぜる。
そして大きく遠心力を加え、さらにガットの上で転がす。
「あれは―――…いいのか?なんかものすごく…曲芸のように見えるが」
「んー、よくわかんないけどいいんじゃないかな?
 だってこれはテニヌなんだし」
「あはは…」
渾身の必殺技をとめられたが、あっけらかんと答える水姫と、
苦笑交じりに困った表情を見せる澪。
そして、いまだに水姫の打球を受けた反動でぐるぐると回りながら
ボールを転がす焔護。確認事項だかこれは既にテニスじゃない。
「―――いくぞ、沙姫」
「―――ッ!」
異様な回転を加えられて打ち放たれたボールはやっぱり異様な
ブレを生じさせ、複数個になり―――
具体的には9個に分裂したボールが沙姫に襲い掛かる。
よければ完全にラインアウトなのだが―――、ここで避けては勝負に負けることになる。
何故かは分からないが、そう思う沙姫。
ラケットを正眼に構えまっすぐ前を見据える。
(全て―――、どれが本物か分らない以上、全て打ち返すッ!)
「おおおおおっ!!!」
ズドドドドーンと、一瞬にして九打。
順番はともかく、全てのボールを打ち返した。打ち返したというか、ラケットを縦にして
フレームをたたきつけた。
その中の一つ―――、本物のボールが焔護のコートへ勢い良く飛んでいく。
「やっ、やったよっ、おねーちゃんっ!」
「―――甘い!!!沙姫ならさっきの分裂魔球くらい返すことは
 予想済みだ!!!」
大きく上段に振りかざしたラケットを―――、袈裟懸けに振り落とす。
空間をねじ切るようにして振り下ろされたラケットから、
まるで周囲の空気を吸い込むかの如く回転したボールが射出され、
沙姫に襲い掛かる―――
「な、これは―――!」
ずる、と足元が滑る。後ろにではなく、前に―――!
「回転によって生じた真空域が時間差を経て
 元に戻ろうとしているのか―――!」
よくわかんない。
意味がよくわかんないが、兎に角、迫り来る回転したボールに
引き寄せられるように体が滑る。
そのボールが急激に、鋭角に落ちた。水姫が打ったサーブのように、
一気にストンと、沙姫の目の前に落ちたのだ。
「―――グッ!!!」
風圧に巻き込まれそうになる。
既に超常テニスと化したこのスポーツには常識論は通用しない。
ネットは波立たず、ボールの暴風に曝されているのは
今や沙姫だけだ。
そして―――地に落ちたボールが回転しながら沙姫目掛けて上昇し―――

沙姫のスカートの中に入った。

「―――ひ!?」
「計画通り」

悪い顔して笑う焔護。
スカートの生地を巻き込みながら、更に上昇を続けるボール。
何が計画通りなのか分からない沙姫。

―――そしてついにスカートを破り突き抜けた。
「がッ!!!!」
「おねーちゃんっ!」
「沙姫さん!」
なんか凄い映像だが、どこか滑稽なのは否めない。
スカートを破られ、上空高く吹っ飛ばされる沙姫。
だが―――その目は死んでいない。
でも、下半身は下着丸出しで、ニーソだ。スカートの下に
下着しか付けていないのは、焔護の指示ではあるが。それははさておき、
沙姫はこの窮地に怯まなかった。
その柔軟で並外れた身体能力を以って―――しなやかな筋肉を使って
宙で方向転換し、瞬時に高めた<氣>をラケットに通した。
そして―――
「水姫、澪―――後は頼んだぞ」
「――っ!」
「!!!」
シーンがシーンならシリアスで凄くいいところだとは思うが、
ちょっといいシーンとは思いにくい。
ともかく、放電現象が一箇所に収斂し、そして―――
「紫電一閃!雷光弾!!!!」

まるで雷が落ちたかのような音と発光。上空から叩きつけられたボールは
既にボールではなく光の球。
沙姫渾身のアタック!―――アタックとしか表現のしようが無い。
閃光と共に、ボールの軌跡に稲光が走る。
まるで落雷を思わせる轟音と共に、さらに強烈な閃光が走った。
「く、これは―――」
かろうじて―――白く塗りつぶされていく視覚の端でボールを捉えるが、
ラケットに当てるだけで精一杯だ。軽やかな音と共に、
大きく上空に弧を描きながら跳ね返る。
跳ね返っていくのは水姫達のコート―――
「――――I am the bone of my ball」
上空高く舞い上がったボールを見上げる澪、その横で、コートに
跪き、瞳を閉じて水姫が何かをつぶやいた。

「Plastic is my racket, and mini is my Clothes.
 I have created over a thousand blades.
 Unknown to Death.
 Nor known to Life.
 Have withstood pain to create many tennis balls.
 Yet, those hands will never hold anything.」

焔護はその時漸く気がついた。
 
―――世界が!塗り替えられる!!

So as I pray, unlimited ball works.


幻視の炎が水姫から沸き起こり、周囲のすべてを塗り替える。
澪の小さな悲鳴、そして、水姫が―――にやりとしながらその瞳を開けた。
あ、ボールはまだ上空をふわりふわり漂いながら水姫達のコートに向かっている。
「こ…れは!」

無限球製。

何でそんなものが発動したのかなんて分からない。
いや、もともとなんでもありの空間にテニスコートを作ってしまったせいかもしれない。
ゆえに、水姫の妄想がここに具現化し、現実と実を結び、
焔護の領域内に自陣を展開してしまったのだ!…おそらく。
ついでに、この間実に0コンマ数秒の世界。
無機質に広がる赤茶けた延々と続く砂漠の世界。そのくすんだ空には
無数の巨大な―――テニスボールがぐるぐると回っている。
砂漠のような地面にも、黄色いテニスボールが埋まっている。
「これこそテニスの極地!」
違う。
それは違うと思うが、水姫にツッこむ者は一人もいない。
「こんな―――」
さすがの焔護もこれには驚愕しているようだ。ここまで空間を
完全に支配されるとは―――。
変な形で。
妄想具現化領域内とはいえここまで空間を支配されるとは―――
驚きの焔護をしっかりと熱い視線で見据え、すう…と腕を上に伸ばす。
砂漠に埋まっていた黄色の球体がそこに吸い寄せられるように
ふわりふわりと集まり―――
「行くよっ、澪ちゃん!」
「は、はいっ、水姫さんっ!」
「なぬぅ―――!?」
焔護が驚くのも無理は無い。いつの間にか水姫と澪、二人の<氣>が完全に
同調し、絡まりあい、高まっている。
そして、二つのラケットが重なり合い―――無数のボールを一発で打ち返した。
「「宝瓶百龍覇――――ッ!!!!」」
「なにィ!?水姫と澪のスマッシュがビックバンを引き起こした!」
中国の巨大瀑布を逆流させるほどの威が、こともあろうか百個くらいに
分裂して焔護に襲い掛かった。いや、分裂と言う表現は少し違う。
周囲にあるテニスボール群が一気に―――焔護に襲い掛かったのだ。

どれが使用していたボールか分からない!

百個くらいの<それ>はコートの表面を次々に突き刺さって抉り取り、
クレーターを作り出した。
完全にボールを見失った焔護。
その足元――焔護の後ろ側のクレーターの中に―――、ころころ…と転がる
黄色い球体。
しゅううう…と湯気だか焦げた煙だかを上げて転がるそれこそ、
試合で使用してた焔護印のテニスボールだった。
「負けた、か。お前たちの勝ちだ」
焔護が負けを宣言した瞬間、水姫の作り出した変な空間が弾け消え、元の
無機質なテニスコートの部屋に戻った。
「やったーーーーー!!!!やったねっ、澪ちゃん!ボク達の愛が、
 焔護さんに届いた瞬間だよ!」
届いたというのがあってるのか間違っているのかよく分からない。
「はいっ、水姫さん!でも沙姫さんの力があったから―――
 さ、沙姫さん!沙姫さんが倒れています!」
澪が喜びを分かち合おうと、沙姫を振り返ると、砂煙の中
倒れ臥している沙姫の姿があった。
先ほどの強烈な一撃を放ったが、全身全霊をかけすぎたせいで
頭から落ちたのだ。
「あわわー!おねえちゃんっ!」
慌てて駆け寄る水姫と澪、そして焔護。
ゆっくりとその体を抱きかかえると、沙姫の目が開いた。
「う…?」
「…着地のことを考えずに技を放つから―――
 軽い脳震盪を起こしたようだな。」
「は―――!?勝負は…!?」
「…だが、いい一撃だった。俺の負けだ、沙姫。
 まぁ、止めは水姫と澪の合体技だけどな。お前の技が無かったら
 俺が水姫たちの技も返していただろうが…」
「そうか―――」
満足そうに大の字になって寝転ぶ沙姫。なんだかよく分からない
内容のテニスではあったが、かなり充実したと思えた沙姫だった。

「ん、いい汗かいたねえ〜。
 お風呂にはいろっか、お姉ちゃん、澪ちゃん、焔護さんっ」
「ほう、なかなかいいことを言うな。 
 沙姫、動けないだろう?俺が脱がしてやる」
そういうと、沙姫をお姫様抱っこで抱え上げた。
ひょいっと抱きかかえられた沙姫はその上での中でじたばたと暴れる。
「なっ!ば、バカ!何を言っているッ!自分で脱げる!
 っていうか、一緒に入るつもりか!?」
「こら、暴れるな」
「なに言ってんのさ、お姉ちゃん。いまさら裸を見られるのが
 恥ずかしいの〜?」
「ううあううーー!」
じたばた暴れる沙姫、それを面白そうに眺めながら焔護に
寄り添って歩く水姫。
澪は―――ボッコボコになっているコートにしゃがみ込んでいた。
「おーい、澪、行くぞー」
「あ、はい―――…」
おそらくは今日一番の功労者であろう、<それ>を優しく両手に
掬い取るように拾い上げる。
「お疲れ様でした…」

手のひらに転がったテニスボールが音を立てずに
淡く光ながら消えていった―――

最後だけなんだか神秘的な終わり方だが、当然といえば当然だろう。
あれだけ無茶な<氣>を散々受けたボールが無傷で終わることなど無い。
なぜここまでボールがその本質を保ったまま在ったのかは
不明だが―――、澪はその光をぎゅ、っと抱きしめた。


後日談
「澪、これは何だ?」
「ボールのお墓です…」
「あ、あの時のだねっ。優しいなぁ、澪ちゃんは―――」
「なぁ、ここに濁点付けていいか?」
「お前は小学生か!!」

おしまい