「うっわーすっごいよッ、紫苑!
 海!すっごい綺麗な海だッ!!蒼いって言うか緑っていうか!
 ボクこんなのテレビでしか見たこと無いよッ!」
「―――そうだな…。ここまで美しい海はそうそう見れるものではないな」

紫苑は眼前に広がるオーシャンビューに目を移した。
どこまでも続くアクアブルー。まるで海外リゾート地の雰囲気を漂わせる
海岸線がこれまた延々と続いているように見える。
実際、紫苑自身もあまり海に行った事が無く、少々浮かれ気味であるのは
否めない事実ではある。が、そこは鉄の意志をもつ紫苑。自制心が
フル稼働していた。

「そんなことより―――兄上」

紫苑は側にいた焔護――いや、久遠の姿をしているので、久遠――を見た。
優雅な仕草で紫苑に振り向く。

「なんですか、紫苑」
「私にはまだ信じられません。この世界が私たちのいる世界ではない、
 ということが。」

目の前に広がる風景は自然そのもの。少し離れた所に人工物である
建物が建っている以外、何も無い。無人島…のようだ。
その光景は、自分たちがいる「世界」とまるで違わない。

「―――うーん、そうですね。確かに一見すると殆ど違わないのですが、
 根本的に違うのですよ。この世界だからこの自然は自然ですが、
 もとの世界に行くとまるで意味の違う物になります」
「…さっぱりだよ、久遠さんッ。」

さっぱり分らないのに自信満々に言い張る刹那。
元気があることは良い事だ。

「ま、あまり深く考えないで下さい。―――やる事が終わったらいろいろ
 見て回って頂いても結構ですから」
「ホントッ!うっわー楽しみだねッ、紫苑ッ。」

刹那の言葉に首肯しながら、改めて―――、周囲を見回す。
今度は視覚的なものではなく、霊的な感覚を研ぎ澄ませながら
注意深く観察する。
どこか、似ているのだ。―――御剣神社に。
雰囲気というか、その醸し出す霊的な感覚が―――そっくりだ。
一面清められた神社の境内を思わせる感覚。清浄な結界内にいるような感じだ。

「―――紫苑、こちらへ」

久遠に促されるままに―――建物に向かう紫苑と刹那。
やって来た場所(中央世界からアクエリアスゲートに連結されている出入り口)から
舗装されていない自然の道―――海岸沿いを歩いていくと、
瀟洒な建物が見えた。焔護たちが暮らしている建物。

「―――そう言えば、兄上。
 水姫達はどうしたのです?声も聞こえませんが」

賑やかな水姫達の―――いや、にぎやかなのは水姫だけで、水鏡澪と朝霧沙姫は
物静かなほうか、と紫苑は思いながら、眼前に聳え立つ建物を見上げた。

「―――ああ、彼女たちは中央世界に行っています。こちらの生活ばかり
 させる訳にもいきませんからね。―――が、もうすぐ帰ってくるでしょう」
「そう、ですか。」

一つ頷くと、久遠は話題を切り替えるように口調を変えた。

「――さて」

―――と建物の入り口に手をかけた久遠が改めて振り向いた。

「ここの―――アクエリアスゲートの制御は<この姿>では少々行き届かない事が
 有ります。私は今から焔護地聖になりますが、準備はよろしいですか?」
「焔護地聖になる、って―――ああ、あれかッ。
 あれってなんだか変身みたいで格好いいよね。」

刹那の言葉に、複雑そうな反応を示す紫苑。
久遠はそんな紫苑の肩に手を置いて、優雅に微笑んだ。

「心配しないで下さい、紫苑。基本は変わらないんですから。」
「―――兄上…」

らしくも無く、乙女のような声を出して…いや、紫苑は紛れも無く
乙女であるのだが。
―――カッ、と一瞬久遠の体が紅く光ったかと思うと、次の瞬間には
焔護地聖になっていた。

「おお〜、いつ見ても凄いね、焔護お兄さんッ。でもなんか前と違わない?
 前って変身する時に光ったりしてたっけ?」

以前――久遠から焔護に変身すると所を目撃していた刹那が声をあげる。
そうだ。確かに――あの時は別に光もしなかった…。
紫苑も過去の記憶を脳内で思い浮かべる。

「いや、刹那の<変身>って言葉にヒントを得て、自分で演出してみた。」

そんなどうでもいい事を拘るとは…と思いながら、改めて様相容貌の変わった
自分の兄に目を向けた。
なんというか、やっぱり別人じゃないか、と思うくらい、別人だ。
いや、これは別人だ。ああ、別人だ。そう、―――別人だ。

「どうした、紫苑。」
「いや、なんでもない。少し驚いただけだ」
「あははッ、焔護お兄さんになったら紫苑も口調が変わっちゃうね。
 ―――って、むしろ紫苑はそっちが普通かッ」

1人ケラケラと笑っている刹那。それを見て―――紫苑も少し顔を崩した。
ま、些事に拘ることはないか。

「それで―――、私たちを呼んだ理由とはなんだ、兄上。」
「んー、そうだな、メインは水姫達と遊ぶ事だ。」
「え、それがメインなのッ?」

意外そうな表情で、それでもどこかわくわくしたような感じで
瞳を輝かせながら焔護を見上げる刹那。
その瞳に頷きながら、室内を先へ進む。

「その前に、――あいつ等が帰ってくる前に、ちょっと運動をしてもらうがな。
 食事の前に運動するのは基本だろう?」

焔護に連れられて、紫苑と刹那は一つの扉の前にやって来た。
そこには「封印の間」と書いてある。

「何だここは」
「ここは―――アクエリアスゲートで侵入を防ぎきれなかった<陰氣>が
 集まる場所だ。次元階層が少し異なるからアクエリアスゲートには
 直接的な影響は無いのだがな。ずっと溜め込む訳にもいかん」

重々しい扉をゆっくり引くと、金属がこすれるような音と共に
扉が開いた。促すように掌を向ける焔護。
とは言うものの、その扉は『本当に向こう側があるのか』と思わせるほど、
漆黒の闇で覆われている。例えるなら壁に貼った黒い紙のようだ。

「―――二人とも、注意して入れよ。入っていきなり『がぶり』って
 ことになるかもしれないからな」
「なんだかよくわかんないけど―――分ったよッ。」
「…了解した」


そういうと、警戒しながら、ゆっくりと―――その暗黒空間に足を踏み入れた。