流動

■中央世界―――特務室■

「―――入るぞ。」
マスターに召集された黒咲はいつものように重厚な特務室の扉をノックして中に入った。
部屋の一番奥―――、
がらんとした部屋の窓際に一際大きな机があり、そこにマスターが向こうを向いて、
豪奢な椅子に座っていた。
「よく来たね黒咲。」
大仰な口ぶりで黒咲を迎え入れるマスター。
ゆっくりと椅子を回転させ―――黒咲と向かい合った。
実はさっきまで一緒にいたのだが…、
マスターはとりあえずこういう台詞を言ってみたかったようだ。
「…いちいち格好つけるな。気持ち悪い。」
「黒咲の辛辣なその一言が、マスターの繊細な心の一番弱いところを、
 まるでドリルのように抉り取った。」
「なんでお前がナレーションになるんだ。いつもながら訳のわからん奴だな。」
「まーまー、いいじゃないか、黒咲ちゃん。」
「気持ち悪い呼び方をするなっ。今の一言で全身に鳥肌がたったぞ。」
「にっへっへ。」
更に醜悪な笑みを見せるマスター。
いいかげん黒咲も腹が立ってきた。何だってこんな奴が私の上司になるのだろう、と。
ただ―――上司にいいたい放題で、よくマスターを泣かせたり半泣きにさせたりしているが。
「―――で?そんなつまらんやり取りをする為に
 私をここに呼んだのではないだろう?そろそろ本題に入れ。」
「そこまで私も暇人じゃないよ。でも楽しいけど」
いや、十分に暇人なのだが。まぁ、それは置いておいて。
「…仕事だよ、黒咲。」
黒咲の怜悧な双眸が光る。
―――仕事。
それはこの世に在らざるモノを駆逐することをさす。
妖怪・妖魔・そういったものの―――人間に害をなすモノ達を屠るのだ。
マスターは机の上にあった書類を恐るべき速度で紙飛行機に折り、
それを黒咲に向けて投げた。軽い音を立てて、飛ぶ紙飛行機。
で、黒咲のところにたどり着く前に大きく弧を描いて、
再びマスターの目の前に静かに着地…もとい、着机した。
「あれー?とどかなかったかー。なんでだろ?」
「…。」
無言でカツカツと靴音を鳴らしながらマスターの机の元に近づき、
一発マスターの頭を殴ってから紙飛行機になった書類をガサガサと広げる。
その紙には、ある場所と仕事の内容が記してあった。
「―――分かった。では早速行って来るとしよう。」
「よろしくにゃりー。お土産期待し…いえなんでもありませんできればそのてをはなして
 いただければとうほうとしてもとてもとてもうれしいのでありますが」
半泣きで黒咲を見つめるマスター。
その両こめかみには黒咲の指が食い込んでいる。所謂アイアンクローだ。
「…次、つまらん事をいったりやったりしたらビルの屋上から逆さに吊り下げるからな。」
「え?何?新しい遊び、それ?おおおおー。」
目を輝かせて異常に食いつくマスターを見て少し頭を痛めながら
黒咲は部屋を出た―――。


■廃墟―――内部■
「ここか。」
数時間後、黒咲は妖しく聳え立つ廃墟ビルの前に立っていた。
マスターから渡された書類には解体工事するビルで怪現象が立て続けに起き、
工事もままならない、というごくごく分かりやすい霊障が起きている、との事だった。
黒咲に課せられた仕事はその原因と除霊。
こういった退魔師のような仕事はあまりしないのだが――マスターの命であれば
仕方がない。
「…確かに…霊気が充満しているな―――上…?」
敏感な人間なら気付きそうなくらいの、霊気。それがビルの内部に渦巻くように流れている。
「―――霊道の真上に建物を建てていたのか。
 これでは…ちゃんと立ってた頃も怪現象が起きていただろう…。」
霊道とはまさに霊の道。いい霊悪い霊が玉石混交に通る道だ。
そんな所に建物を建てていたとは。ちゃんと土地のことを調べないからこんなことになる。
呟きながら―――黒咲は周囲の空気が変わるのを感じた。
眼前に不可視の陰気の塊が―――徐々に大きくなっていく。
霊道から流れついた<悪意>=<陰気>だ。<それ>は暴れるように
周囲の瓦礫を薙ぎ払いながら黒咲のほうへ近づいてきた。
明らかに敵意を持っている。
「これでは確かに普通の人間では何が起こっているか分らんだろうな。」
一種のポルターガイスト現象だ。
実態が見えなければ何が起こっているのかは分らない。
す、と体勢を斜めにずらして、拳を構える。
黒咲を「障害」として認めたのか―――徐々に実体化していく<陰気>の塊。
「OGOOOOOOOOOOOOOO!!!!」
びりびりと周囲の空気を震わせながら<それ>が黒咲に向かって突進してきた。
「―――ふッ!!」
それを、短く息を吐きながら紙一重で避けながら回し蹴り。
回し蹴りとは言うものの、スカートを穿いているのでそれほどの威力はない。
突進の軌道をずらす程度だ。
(これほど物質化するとは…。)
なおも向きを変え、黒咲へ襲い掛かろうとする異形のモノ。
黒咲とてここで時間を費やすわけにはいかない。
先ほどから―――上階から異様な<氣>が発せられているのを感じていた。
すぅ、と黒咲の双眸が細まる。
そして読経のような口上のような声を発すると―――、一瞬黒く煌き両手に双剣が現れた。
魂魄の加護の顕現。北方を守護する玄武の<力>。
その名を冠した黒玄<こくげん>と黒武<こくぶ>が黒咲の両手に握られている。
「―――散れ。」
瞬斬。
目に止まらぬ流麗な動き。
そして黒い閃光が幾重にも走り――――異形のモノは霧散した。



<氣>を研ぎ澄ませながら周囲をうかがう。
―――霊気が濃すぎて何が起こっていても不思議ではない。

そのまま1階を隈なく探索し、霊気の流れを追って―――2階へあがる。
この廃ビルは使用されなくなってかなりの間放置されていたようで、
所々…というか全体的に荒れている。
がらんとした空間には廃材やらコンクリートの破片やら瓦礫やらで雑然としていた。
その中に、蠢く影が一つ。
―――人間だ。
いや、人間というには最早程遠い。その皮膚はグロテスクに黒く爛れ、
異様に肥大化した腕。
瞳孔は赤く怪しく光っている。―――なにより―――、
足元に転がる複数体の、腐乱した死体。それを貪っているのだ。
「うう、ううううううう」
低くうめきながら、幽鬼の如くゆらりと立ち上がった。
新たな獲物をその瞳に映しながら。
その服装から―――若い少年…だったと思われる。
今はもはや見る影もないが。
(どうやら…霊媒になってしまったようだな)
恐らく―――肝試しか何かでこの廃墟に入ったのだろう。
霊道があったせいで<陰気>が廃墟に流入し、その<陰気>に
魂魄を乗っ取られたのか――。
まぁ、経緯を推測しても仕方がない話だ。結果が目の前にある。
「おお、あああああ!!!!!」
異形のモノに変じた少年が黒咲に襲い掛かってきた。
普通の人間ではありえない跳躍力。
そのままの勢いで剛腕が横一線に床を薙ぎ――――
瓦礫がまるで津波のように轟音を上げながら黒咲に向かって吹き飛んで来る。
「―――くッ!!」
双剣を消し、複雑な印を瞬間に組み上げると、
その青い煌きを湛える掌を瓦礫の津波に向けた。
「水流掌!!!」
轟音とともに瀑布にも似た大量の水の衝撃が瓦礫の津波を押し流した。
<氣>の昇華―――。
水氣を操ることは<玄武の加護>を持つ黒咲にとって容易い事だ。
あたりは水浸しになるが。
「ぐるるるるるるるる…!!!」
自分の攻撃が文字通り流されたことに苛立ちを募らせているのか―――、
四つん這いになり低く唸る。
「―――もう…、人には戻れないか…。」
完全に魂魄が陰に塗りつぶされている。
自我の肉体の崩壊が著しい。こうしている間にも―――その肉体は朽ちていっている。
まるで瞬時に腐食していくように…赤黒く爛れ、ぼとぼとと肉塊を撒き散らしている。
陰気に肉体が耐えられないのだ。
そのために他者の<肉>を喰らうのだが―――。
放っておけば、<これ>はそとの人間を襲いかねない。
「仕方ない、か。―――すまないと思うが…」
再び、双剣を構え、<氣>を高める。
清冽な<氣>の奔流が黒咲から立ち上がり周囲を青く輝き照らす。
「せめて楽に逝かせてやる。」
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
トン、と地を蹴り宙を疾駆、一気に間合いを詰めて
雄叫びを上げる異形のモノの懐に飛び込み、そのまま。
「―――さらばだ」
黒の連撃。
無数の剣閃が異形のモノを縦横無尽に走る。
―――玄武双破・滅陣―――
「――、―――…」
断末魔さえ残さない。
いや、<自分が死んだ事>さえ知覚できないだろう。
そのまま空気に溶けていくように消えていった――――。


―――静寂があたりを支配する。


軽く手を振り双剣を消してから、小さくため息をついた。

とりあえず―――霊障の原因は霊道の上に建物が建てられ、
そこに流れ着いた悪意<陰気>が溜まり溜まって具現化したものだった。
少年達がここに訪れ陰気に飲み込まれたのは―――不幸な出来事としか
言いようが無いが。

…ここ数日、こんな事件が立て続けにおきている。
やはり原因はゲート結界が半数…6個になってしまった事、それ以外思い当たらない。



黒咲は赤い光が降りてくる上空を睨んだ―――。