第六話 浄眼 【水姫】ふーっ、おいしかったねーっ! 【澪】そうですね。 水姫と澪、そして焔護は料亭でご飯を食べて出てきた。 昼間から料亭とはいい身分だ。 食事中、澪が店員と間違えられたコト(メイド服のままだったので)以外は 平和な食事だ。意外にも、水姫ではなく澪が出てきた料理に 眼を輝かせていた。 ――で。 【澪】今度、あれをつくります! 【水姫】ええっ!? 【焔護】お前、あれが作れるのか…?あんな手の込んだ… 恐ろしいほどの創作レベルだが澪はやる気だ。さすがアクエリアスゲート随一の 料理人だ。…三人しかいないけど。 ―――ふと、澪が空を見上げた。 その視線の先には例の「赤い線」が天空から垂れ下がっている。 …澪の表情が不安げに曇ったのを―――焔護は見逃さなかった。 【澪】…。 【焔護】…澪、お前、アレが見えるんだな。 【澪】えっ、は、はい―――… 【水姫】ん?何が? 水姫が空をきょろきょろ見る。 【焔護】む?水姫はあれが見えな―――そうか… 【水姫】あにゃ? じー、と水姫の瞳を見つめる。 何を勘違いしているのか、水姫はすごーく照れた様子で、らしくもなく 真っ赤になりながらもじもじしている。 【焔護】特異霊質…か。 澪、ここで説明するより実際にアレが何であるか 見に行った方が分かりやすいかもしれん。 【澪】ど、どういうことですか? あれは――普通の人には見えないものなのですか? …どうして、私はあれが見えるのですか? 珍しく澪が早口で尋ねる。 不安なのだろうか、先ほどの料理の時とは打って変わっておろおろしている。 【焔護】それは―――お前の瞳が赤い<浄眼>だからだ。 ■裏路地■ 数分後、三人は「赤い線」が降りてくるところに居た。 特に見た目には何の変哲もない、奥まった裏路地だが――― 【水姫】この雰囲気… ぶるっ、と水姫が震える。 一方、澪の視界は全体的に赤い靄が薄くかかっているように見えていた。 【水姫】なんか…息苦しくない…? 【澪】ええ…気持ち悪いというか――― 少し眩暈を覚えるような、感じ。高濃度の酸素の中に居るような感じだ。 さらに、生暖かい空気がまとわり付いているような、 あまり気持ちのいい雰囲気の場所ではない。 【焔護】ワシのそばから離れるなよ。 この辺りは陰なる氣<陰氣>が溜まっている場所だからな。 この濃度、常人なら昏倒レベルだ。 【澪】<陰氣>…ですか…。 【焔護】<陰氣>…これを防ぐためにアクエリアスゲートをはじめ、 各ゲートが存在しているんだ。 これはその残りカスだな。 【水姫】どーいういみ? 【焔護】各ゲートは人の悪意である<陰氣>の中央世界への流入を防ぐために 展開しているが、それぞれ許容範囲は違う。 で、とりあえず魔導災害レベルの巨大な<陰氣>から順番に小さな<陰氣>を 取り除こうとするのだが…最終的に防ぎきれない微小の<陰氣>は 中央世界にまで流入してしまうんだ。 【澪】つまり…各ゲートは一種の濾過装置のようなものなのですね。 汚泥を浄化するような、そんな感じですか? 【水姫】さっき黒咲さんもそんな事言ってたね。 【澪】はい―――。 【焔護】その通りだ。だが、結局濾過しきれない<陰氣>は――― お前が見ている通り、この世界の空から流れ落ちて、地上に溜まる。 …その結果が、これだ。 あたりを伺っている水姫が少し身震いしながら焔護を見上げて尋ねる。 【水姫】…この感じ、さっきと一緒だ。 焔護さん、…もしかして、変な化け物とか、出てくるの? 【焔護】変じゃない化け物は見た事がない。 【水姫】トト○とか、あーいうのは可愛いの!って、そーじゃなくって!! この場所って妖怪みたいなのが生まれるんじゃないの? 【焔護】…知っているのか? 【水姫】だって、さっき黒咲さんと会う前に… ボクこんな感じの所で化け物に襲われたんだもん。 【焔護】何だと?…お前、よく無事だったな。 どこも変わったところはないか?体は大丈夫か? 【水姫】いやー、ボクもこりゃまずいかも、って思ったんだけど、 カッコいい女の人に助けてもらったんだよ。 なんか、焔護さんの持ってるのにそっくりな刀を持っててさ、すっごい強いの。 怪訝な表情の焔護。 【焔護】誰だそれは… 【水姫】うーん、名前聞きそびれちゃって…。わかんないっ。 とっても綺麗な青い髪で…ボクくらいの長さかな。 と、自分の髪を触りながらつぶやく。 【水姫】あ、制服着てたから高校生かなぁ? 【焔護】(刀をもって、青い髪…まさか紫苑…か? ―――隣街だし…<月読>の波動は感じないが―――鞘に封印しているのか。) 【澪】…焔護さん…? 【焔護】あ、ああ、まあ無事でよかった。 ―――ええと、澪。お前、この瘴気…<陰氣>が見えるんだな? 言いながら澪を振り返る。 【澪】は、はい…薄い靄のような感じです。赤い靄が漂っているような… これが空から降りてきている赤い線の正体ですか? 【焔護】ああ、そのとおりだ。で、なんでそれが見えるかだが――― さっきも言ったがお前の瞳が<浄眼>だからだ。 【澪】じょうがん…? 【焔護】魔を見通す浄眼。 本来、人間が赤目で誕生する事は殆どないそうだ。 先天的なものは稀少遺伝による発現があるが…全体の9割以上が 後天的に変質したものだ。 【澪】わ、私は――― 【焔護】後者、後天的に変異したタイプだ。アクエリアスゲートに来る前――― この世界(中央世界)に居る時の…昔のお前の瞳は<蒼>だったからな。 【水姫】えっ!? 【澪】―――!? 驚愕する水姫と澪。瞳の色が<蒼>だったからではない。 そこに驚いているわけではない。 【水姫】なんで…、 なんで焔護さんが澪ちゃんの<過去>を知ってるの? 【焔護】…澪だけじゃない。水姫、お前とも―――この街で… アクエリアスゲートにお前達が来る前に出会っているんだ。 【水姫】―――…っ!! 【澪】あ、あの…っ 澪が口を開こうとした時―――静寂を切り裂いて咆哮が響いた。 異形の生物が湧き出すように滲み出ている。 【焔護】陰気が臨界を越えて具現化したな。 …下がっていろ。 一方的な戦いだった。 周囲に具現化した獣のような数体の異形のモノ。 それらが一瞬にして焔護によって屠られていく。 <陰氣>が凝り固まって生じた異形のモノ。それらを片っ端から浄化していく。 浄化…というか、陰氣に対して人間が持つ<氣>はマイナスとプラス。 それがぶつかって相殺される。結果的に陰氣が消えているのだ。 それより驚愕するのは―――焔護は殆ど動いていない。 水姫と澪を守るようにその場に立ち、襲い掛かる異形のモノを 腕を振るうだけで吹っ飛ばされていく。ついでに片手だ。もう一方の手は ズボンのポケットに入っている。 ―――戦闘が終わる頃には周囲の瘴気も薄くなっていた。 【焔護】大丈夫か、お前達。 【水姫】うんっ。 【澪】はい、大丈夫です。焔護さんは…? 【焔護】心配いらない。 やさしく澪の頭を撫ぜた―――。 と。 【女性の声】まるで「お父さん」ね―――。 水姫と澪ではない、別の女性の声が響いた。 その声のする方向を見ると…、朱の袴に白い着物のような服――― 巫女服を纏った黒髪の女性が微笑んでいた。 【水姫】えー…っと、誰? 【黒髪の女性】うふふ。<陰氣>が晴れていくと思ったら… 貴方だったのね、―――焔護くん。 【焔護】御琴姉さん―――― 【水姫】おねっ、ええ―――!?焔護さん、お姉さんが居たのっ!? 【澪】…っ!? さっきまでの話以上に驚く水姫と澪。 【焔護】ああ、違う違う。血の繋がりはない。 【御琴と呼ばれた女性】ふふっ。焔護くんが小さな時から知ってるから、ね。 お姉さんのような存在ってことよ、水姫さん。 【水姫】―――へっ?ボクのコト知ってるの?お姉さん…。 にっこりと微笑みながら頷く御琴。 【御琴】勿論、澪さんのことも知ってるわよ。よろしくね。 【澪】は、はい――― 握手をしながら、 なんでー?という疑問のまなざしで水姫と澪が焔護を見る。 【焔護】御琴さんは…御琴さんもゲート管理者だからな。 桔梗院御琴―――ヴァルゴゲート管理者。清楚にして純潔の巫女。 【水姫】うはっ、そうなんだっ!焔護さん以外の管理者のヒトって初めて見たよっ! 管理者するヒトって変なヒトなのかと思ってたっ! 【焔護】…失礼な!それではワシも変人ということになるぞ!? 【水姫】え、ちがうの? 【焔護】…いや、違うわけではないが…。 【御琴】うふふっ。く―――いえ、焔護くんが言葉につまるなんて…、 珍しいわね。 【焔護】フン。こいつくらいのもんだ。 【水姫】ってっ。 ちょっと照れながら水姫の額を指ではじいた。 【水姫】でも、ホント吃驚したねえ、澪ちゃん。 【澪】は、はい…。 あ、…あの、御琴さん…、初対面で、申し訳ないのですが…質問があります…。 深刻そうな表情で御琴を見る澪。その澪を柔らかい笑顔で包む御琴。 もー雰囲気そのものが年上のおねーさんだ。 【御琴】なぁに? 【澪】その…。 俯き加減になり…見上げながら、つぶやく。 【焔護】<瞳>、だな。 …そうだ、お前と同じ、<浄眼>だ。 【澪】――――…っ。 いきなりの展開に絶句する。 目の前に自分と同じ瞳を持つものが居る。目の前に居る。 【御琴】そう…貴女もそこまで知ってしまったのね。 ―――私も、貴女達と同じような境遇を経験してきたのよ。 【水姫】あなたたち…、ってボクと澪ちゃん…みたいな? 今度は水姫が驚いた。 御琴が振り返り、…首をかしげる。 【御琴】あら…?そういえば、水姫さんは―――… 【焔護】ああ、こいつは特異霊質だからな。<浄眼>は発現していないんだ。 【御琴】例の陰陽魂魄のコト? なるほどね…こういうこともあるのね。貴女も複雑な人生なのね。 きょとーん、としている水姫。 本人は複雑な人生をなんとも思っていないようだ。 【澪】あ、あの、どうして…どうして私達は赤い瞳なんですかっ? 今の話では本来水姫さんも浄眼だということに… 【水姫】そーだよね。どして? 【焔護】そうだな…難しい話だが…寝るなよ、水姫。 【水姫】が、頑張ってみる。 【御琴】浄眼の顕現は<陰氣>の過剰摂取―――自己への流入、汚染などによって 魂魄…つまり魂が汚されることによって対陰氣への抗体、防衛手段の 発現の表れ、という訳なの。 【澪】汚染…流入ですか…。 【焔護】流入とは一種の「呪い」だな。汚染は高濃度・高密度の魔素…<陰氣>に あてられるコトだ。 【水姫】む、むずかしいなぁ…。 汚染や流入が進むと、魂魄の陰陽バランスが崩壊して<陰>部分が肥大化、 <陽>部分を追い出して魂魄が<陰氣>に塗り替えられる。 そうなると、鬼や魔、妖怪といった類に堕ちるのだ。 理性知性は殆ど飛んでしまい、本能の赴くままに行動するようになる。 …ただ、長い年月を経ることによって知性を得る事など 例外もあるのだが―――― 【焔護】で、もう一つの原因がある。 魂魄の存在消失の危機に顕現する場合…これが次元乖離時の変質だ。 【御琴】…私の場合は、これにあたるの。 【澪】…え…?それってどういう… 【御琴】小さな頃にね――― この世界には時折<ゆらぎ>が生じるの。次元の境界が撓んで曖昧になるのよ。 その<ゆらぎ>に巻き込まれて―――ね。 マスターの話だと希有な例だったみたいだけどね。 御琴は更に奇妙な体験…というか人生を送ることになる。 中央世界からの乖離によって「対存在」が生じたのだが、時限の狭間から救出され 合一(融合)を果たすために戻ってきた御琴の眼前で事故より「対存在」の精神が死亡。 「対存在」との連動性の為に御琴本人の存在が消えそうになった為(=死にかけた) マスターが最後の手段、とか何とか言いながら、 「死亡した対存在の肉体」に「精霊格の地霊」を代わりの<魂>として封じた。 現在も「死亡した御琴の対存在の肉体」は生きているが御琴本人との変質が 進みすぎているために合一は出来ない。 とゆーか、地霊が「対存在の肉体」に入った時点で別物になっているので 合一は不可能なのだ。 で、結局「世界から外れた存在」になってしまった。 そして、大人になった時に、マスターにひっぱられてゲート管理者になった。 …水姫たちとは全然関係のない話だが。 ちなみに、その地霊は今でも元気に神社で留守番巫女をやっている。 【焔護】ま、とにかく浄眼というのは陰氣や魔に対して反応する。 だから陰氣であるあの「赤い線」が見えるんだ。 【澪】はぁ…。 【焔護】お前の場合は…御琴さんとは違って、<流入>に原因があった。 <呪いの印>が付けられたことがあったんだ。 今はもう無いがな。 ただ―――浄眼の発現はそのまま残ってしまったようだ。 【澪】そう…なんですか… 未だによく分からない、といった表情の澪。 俯き加減に焔護の言葉に答えた。 【焔護】ま、心配するな。大丈夫だ。お前にはワシが付いているのだからな。 【澪】はっ、はいっ! 弾かれたように顔を上げて何度も首を縦に振る。 【御琴】あらあら。 くすくすと笑う御琴。 【水姫】そーいえばさ、焔護さんも赤目だよね?同じなの? 焔護の目をまじまじと見ながら尋ねる。 さっきは自分がやったくせに今度は焔護自身が恥ずかしくなって視線をはずす。 そこを回り込んで覗き込む。で、額を再び弾かれた。 【焔護】こ、これはまた別物でな… 【水姫】えっ、そーなの? 【御琴】ふふっ。昔は凄く綺麗な青色でね。髪の毛も青かったのよ。 それが今じゃこんな赤色になっちゃって――― さら、と焔護の髪を触る。 【焔護】御琴姉さん。その話はもういいだろう。 ―――さぁ、二人とも帰るぞ。 【水姫】うんっ! 【澪】はい。 【焔護】姉さんはどうするんだ?一緒に帰るか? 【御琴】うーん。私は神社に顔を出してくるわ。あの子にも久しぶりに会いたいし。 あのコは本当は年上だけど…なんだか双子の妹みたいな感じがするのよね。 【焔護】そうか…。今も元気に留守番巫女をやっている。 ま、よろしく伝えてくれ。 【御琴】ええ。 それじゃ、皆気をつけて帰ってね――――。 【焔護】ああ、御琴姉さんもな。 【水姫】またいろいろお話聞かせてねっ。 【澪】いろいろ教えて頂きましてありがとうございました。 異口同音に感謝の意を表しながら頭を下げる水姫と澪。 それじゃあね、と御琴は焔護達が向かう方向とは別の方へ歩いていった―――。 |