■街中■

【水姫】あ、あれ―――

街中まで戻ると、緊張が解けてほっとしたのか水姫がぐらついた。
それを焔護が片腕で自分のほうに引き寄せて支える。

【水姫】ご、ごめん焔護さん。もう大丈夫だから―――
【焔護】何を言っている。
     まだふらふらしているじゃないか。―――よっと。

焔護は水姫を抱きかかえた。
体を預けられながら歩くより、抱きかかかえたほうが早い。

【水姫】あっ…。

水姫も―――突然の事に殊勝に驚きながら、それでもしっかりと
焔護の首に腕を回してしっかりと抱きついた。
ちょっと顔がにやけている水姫。

【焔護】今日はこの街で休もう。
【水姫】…うん。ありがとね、焔護さん…っ。

頬を昂揚させながら頷く水姫。いわゆるお姫様だっこで、
焔護と水姫は宿屋に向かった。

■宿屋■

【焔護】よっ。

水姫をベッドにゆっくりおろす。
村の宿屋と言うのに―――随分と立派なつくりをしている。
なぜか冷暖房完備でシャワー室まで備わっていると言う世界観を
まるで無視したつくり。
そんなコトには一切目もくれず、焔護は大きなベッド―――ダブルベッドというか
キングサイズのベッドに寝かせた水姫の頬を撫ぜた。

【水姫】ごめんね、焔護さん。
    澪ちゃん助けに来たのに、足手まといになっちゃって…。
【焔護】気にするな。お前も澪も俺が護ってやると約束しただろう?
     ―――どうだ、調子は?
【水姫】うん、なんだかちょっと気だるい感じかな…。
     でも、ちょっと休んだしもう大丈夫だよっ。

腕を組んで焔護がベッドに腰掛ける。
無理をして起き上がろうとした水姫を制しながら―――考える。

【焔護】ふむ…。
     (おそらく、<氣>の使いすぎだろう)
【水姫】焔護さん?
【焔護】どちらにしろこのままでは駄目だな。仕方ない、治療をしておこう。
【水姫】へっ、へ?なん―――

*****

■宿屋―――深夜■

焔護の隣で水姫が規則正しい寝息を立てている。


腑に落ちないコトばかりだ。

確かに沙姫は15日ごとの夜にしか目覚めないようにしている。
それ以上活動すると人格もろとも消滅するはずだ。
魂を維持する<力>がそんなにあるはずない。
物理法則が―――

【焔護】―――まさか。

横で寝ている水姫の顔を見た。

【焔護】アクエリアスゲートの物理法則から外れたところにいるから
     制約が効かない―――?

だが、それならすぐにでも沙姫は覚醒してしまうことになる。
ぶんぶん、と頭をふる。
これ以上は考えても仕方ない。
そもそも、よくわからないことを自分の識っている範囲で
解決しようとしても仕方ない。焔護は思考回路の回線を切った。
―――今はそれよりも、―――。


ゆっくり、水姫を起こさないようにベッドから降りると、服を着替えた。
そして、宿屋の二階の窓から外へ出る。


■街中―――深夜■

【焔護】出て来い。

闇に向かって言葉を投げかける。普通の人が焔護をみたら
ただの危ない人だが―――、
焔護は感じていた。
宿に着いたときからの視線を。

【焔護】そんな妖気を放っていたら誰でもわかるぞ。―――これが最後だ。出て来い。

闇に向かって声を投げかける焔護。
淡々とした口調だが――、どこか怒気を孕んだ声だ。
水姫や澪が聞いたらたぶん震えるくらいの、少し低い声。
その声に反応するように―――、屋根の上に人影が現れた。

【焔護】――――ッ。

漆黒の闇に揺れる長い黒髪。
纏う衣服は見たこと無いようなものだが見まごうこと無い、その姿は。
その姿は――――

【焔護】―――沙姫…?






瞳が赤く煌く。

【焔護】(―――いや、違うな。沙姫は「そこ」にいる。)

水姫が寝ている宿屋の一室に目をやる。
さすがに壁を通して中までは見えないが―――、確かに水姫の<氣>を
感じることができる。
水姫は居る。―――即ち沙姫もそこに居るのだ。

【焔護】(ま、それ以前に――アレから感じられるのは…妖気だ。
     ヒトではないな)

少し動揺した焔護だが、気を取り直して戦闘態勢に入る。
始めてこの世界に来た時に出会ったモンスターみたいなものや、
昨日倒した男たちとは違う、独特の<氣>。

【妖魔】アラ、さすがね―――。この姿を見ても驚かないなんて。
【焔護】いや、十分驚いたぞ。―――何者だ、お前。

瞬間、周囲の空気が撓んだ。
焔護の<氣>が辺りを一瞬にして覆い包む。

【妖魔】―――ヘェ、凄いわね。でも、ここは私の空間よ!!
【焔護】(…陰気の結界か)

周囲の空間が赤く染まっていく。外界との空間が断裂。
―――バトルフィールドの中に取り込まれた。

【妖魔】我が名はサキ。我が主により肉を与えられし者!!
【焔護】サキだと…?

焔護は明らかに不快感を表情に出した。
姿形も酷似しているというのにその上名前の音まで同じとは。
我が主より肉を与えられし者!というフレーズには一切反応せず、
その名前と姿に苛立ちを覚えていた。


…あまりにも―――似ている。

だが、迷いを立ち切るかの如く、焔護は頭を振った。
そして、妖魔サキを睨みつける。



闇を切り裂く月光。
黒髪が風になびいた。

【サキ】―――ウフフ、あの澪ってコを使って貴方をこの世界に
     誘き寄せたのは正解のようね。さすが我が主だわ。
【焔護】なんだと?
【サキ】アラ、眼の色が変わったわね。そんなに澪ってコが大事なの?

多少説明的過ぎる会話内容ではあるが、まあ、敵とはこんなものだ。

【焔護】そうか、お前が澪を攫ったってわけか―――
【サキ】そうね―――おしゃべりにも飽きたし、指令執行といきましょうか。

そして、自分で喋りだして飽きるのが早い。

【焔護】…予定変更。この世界の「住人」であれば見逃してやったが
     澪のことを知っているのならば話は別だ。―――力ずくでも聞き出す。
【サキ】できるかしら―――?

黒髪の女の手が、赤く輝く。
指先が何かをなぞる様に動いたかと思うと、更に赤く輝く魔方陣が瞬間に形成された。
その掌を焔護に向け―――

【サキ】―――貴方に!!!!

赤い光の槍が焔護を襲う。
悉く、その赤い槍のような氣撃を高速の拳で叩き落す。
赤い飛沫が宙を舞い、霧散していく。

【焔護】フン。
【サキ】やるわね…。

そういいながら、妖魔サキが腕をすう、と自分の眼前に持ってきた。
―――シャコン、と妖爪が50cm程に伸びる。接近戦に切り替えるようだ。
応じるように焔護は、軽やかに跳躍し屋根の上にふわりと着地し無手で構える。

【サキ】いくわよ!!


空気を切り裂いて宙を疾駆し襲い掛かる妖魔・サキ。
突き、払いのコンビネーションが波状に繰り出される。
―――が、焔護はそれらの連撃を紙一重で避ける。
一瞬の隙を逃さず、妖魔の腕に裏拳を当て、体勢を崩させて、
下腹部に掌底をあてて吹き飛ばした。

【サキ】くぅ!

一旦宙に浮いて間合いを取る妖魔。



【焔護】ほう…昼間のやつ等よりも手応えはあるようだな。

それはそうだ。
昼間の巨漢どもは一応人間だった。今目の前に居るのはれっきとした
魔に属する存在。
ぷらぷらと手を振りながらも鋭い眼光で射抜く焔護。

【焔護】澪について知っていることを全部話せ。
    …命だけは助けてやる。

空気が張り詰める。
普段はあまり見せない殺意の波動が辺りを支配する。
それでも―――今までの焔護にしては優しいほうだ。

【サキ】―――ぐ、くっ…

霊圧に耐えられないのか、呼吸がままならない。
焔護の<氣>を受けているだけで――――圧迫されているような感覚だ。

【サキ】こんな、コトで!私が屈すると思っているのっ!?

頑張った妖魔サキ。
気丈にも自らを奮い立たせ、叫びながら反撃に――――
が、瞬間、眼下の焔護が―――

【サキ】消え―――
【焔護】二度は言わん。

宙を浮く自分の後ろから声が聞こえた。
と思うまもなく鈍い衝撃と共に地面に激突する。



【サキ】あ…が…っ…!

よろよろと立ち上がる妖魔。
そこに、こつ、こつ、と足音を立てて焔護が近づく。

【サキ】おの―――

「れ」を言う前に首を掴まれたまま、背後の石壁に叩きつけられる。



見上げられているのに見下ろされているような目つき。
焔護の三白眼が紅く光り、妖魔を射抜く。
目で殺す、という言葉がぴったりな殺意の視線。
全身の血液が恐怖によって逆流するような、感覚に陥る。
―――と、首を締め付けていた手が離れた。

【サキ】が、はっ…!!ごほっ!!

どさ、と倒れこむ妖魔サキ。
見上げると鬼神の如き形相の焔護。

背後の月が揺らめく。
チリチリと首元が痛む。まるで死神の鎌を突きつけられているような感覚だ。
動けない。いや、動かない、体が。



…たっぷり一分、もたなかった。


観念したかのように、サキはがっくりと首を項垂れた。

【サキ】ここから西へ約30kmほど行くと古城が見えるわ―――
    その最上階に白いお姫様は囚われている。

先程までの焔護の怒気が嘘のように散っていく。
まるで興味を失ったかのようだ。いや、実際、慈悲とか、そんな心で、と言うわけではない。

【焔護】西へ、30kmか。

くる、と背を向けて歩き出す焔護。
無防備な背中にすら、最早サキに攻撃する意思すらない。
圧倒的な力の差をまざまざと見せ付けられたサキ。


―――焔護の姿が消えた後、
背信プログラムにより妖魔サキは闇に飲まれて消滅した。




■宿屋――自室■

【焔護】水姫。水姫、おきろ。
【水姫】むー…

官能的な恰好で目をこすりながら、むくっと上半身を起こした水姫。
少し乱れたシーツが妙に悩ましげ…だが半分寝ている水姫の顔を見ると、
焔護は一つ溜息をついた。

【焔護】ほら、おきろ、水姫。出発するぞ。
【水姫】へひー…?どこへー?
【焔護】まだ寝ぼけているのか、水姫…。ほら、しゃんとして服を着なさ―――
     こら、寝るな。

とか何とか言いながら水姫に服を着せてやる。

【焔護】眠そうだな。
     (まぁ、昨日はこの世界に来たばっかりだし、あんなこともあったしな)

あんなこと…とは、水姫が、水姫のまま沙姫の<力>を振るったことだ。
原因は未だ不明だがいずれ何とかしなければならないだろう。
――と、考えながら、水姫のシャツの前のボタンを留める。
…少し悲しくなってきた焔護。保母さんか、俺は。

【焔護】しかし、よく寝るな…昨日は結構早いうちに休んだはず…。

やることはやったが、寝たのは9時か、10時くらいのはずだ。
言いながら懐中時計を見ると―――

【焔護】4時?午前、四時…?

外には太陽が昇っている。かといって懐中時計が壊れたふしも無い。
うーん、と首をひねってから、やれやれと溜息をつく。

【焔護】この世界は時間の流れもおかしいのか…。早めに澪を助けて帰った方がいいな。
     こら、おきろ水姫。

水姫の胸をつつく。だが弾力のある水姫の胸が焔護の攻撃を
リフレクトする。
おきない。

【焔護】こらー。

両手で水姫の胸を鷲づかみにして揉む。さすがだ焔護さん。
見る見るうちに水姫の頬が朱に染まる。

【水姫】あ、んっ、あぅ…お、おきてるよぅ…

薄く目を開けて唇をすぼめた。

【焔護】は?
【水姫】おはようのキスだよっ、ほら。
【焔護】こいつは…。

ゆっくりと顔を近づけて、両手で水姫の顔を挟む。

【水姫】む?

そして、水姫の頭に衝撃。
ごちーん、でくわんくわんーという、音と額にずきずきと痛みが走る。

【水姫】いったーーーーいっ!!なにすんのさ、焔護さんっ!!
【焔護】漸く起きたか。
【水姫】起きたけどさ!!あんまりじゃないかっ!!!

――と、焔護の表情が真摯なものに変わる。

【焔護】急ぎだ。澪の居場所がわかった。

その言葉に、ぴく、と反応する。

【水姫】どこにいるのっ!?
【焔護】ここから西へ約30kmいったところにある城だそうだ。

それを聞くと、水姫は飛び上がって支度を整えた。

【水姫】なにしてるのさ、焔護さん!早く行くよっ!!
【焔護】…それはないだろ、水姫…散々起こしてやったのに…。

半分呆れ顔、半分嬉しそうな顔のまま水姫の後をついて行っ…

【焔護】こらまて水姫、そっちは東だ。